標高 2,568m
世界でも有数の活火山。

天明三年(江戸時代)の大爆発の際は熱泥流により、麓の鎌原部落がすべて飲み込まれ、多くの村人が亡くなりました。小高い鎮守の森の神社に駆け上った数名のみが助かりました。