神社・仏閣

2018年9月28日 (金)

日本三大奇景 妙義山 「妙義神社」 その2

長ーい急な階段を登っていくと所々階段が湾曲しています。

これは、階段脇にあった御神木の杉の木が何百年もの間に巨大になりすぎて根が石の階段を持ち上げてしまったためでした。

創建が537年ということですから、その時に植樹されたとしたら1500年近く経過してるということですね。ビックリです。

近年、あまり巨木になってしまった杉の木の倒木が懸念されていたために残念ながら伐採されてしまいました。

昔の写真と比べると、両脇の杉林と長い階段との見事な景観が見られなくなり残念でなりませんが、安全が第一ですから仕方のないことですね。

NHKの大河ドラマ「義経」の鞍馬山の撮影映像では以前の杉の大木が林立する景色が見られると思います。また再放送してくれないかなー。

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神社の守護神である随身さまが祀ってある「髄神門」まで上がってきました。

矢筒を背負っているので「矢大神」ですね。

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「髄神門」を抜けると左階段上に雁行して「唐門」があります。その先は、いよいよ本殿です。

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唐門の素晴らしさに暫しうっとり。

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天井には龍が天空を舞っていました。落款が「狩野・・・。」 やっぱりすごい。

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いよいよ「妙義神社」の拝殿とご対面です。

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「唐門」と「拝殿」を観て、「日光東照宮」を思い出すって人は結構「通」ですね。

それもそのはず、これらの建物は、日光東照宮を造った名工達によって造られた建物だということです。至る所に装飾された彫物に目を見張ります。

拝殿の入口に、昇り龍・下り龍の一対の見事な彫物が梁に巻き付いています。頭を下げている龍が昇り龍だそうで、「出世」のパワースポットともして有名です。

「実るほど頭を垂れる稲穂かな」という故事があるように、人の上に立つ人や偉くなる人はそのような精神がないと人に慕われず本物にならないということのようです。

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本殿の見える角度に回ってくると神社全体が黒く塗られていることに違和感を覚えました。なぜなら、神様は黒の陰を嫌うからです。

いろいろと調べてみましたら、神仏習合の強い建物には多い色彩のようです。そして、こちらの神社は定期的に建替える遷宮のしきたりのない神社であるため、遷宮神社の白木様式ではなく、建物を長期に保存できるよう彩色しているようです。また、黒は一番高貴な色とされています。

神社の裏手まで回ってくると[天狗社」があります。天狗が窓から.睨みを利かせています。この場所を知らずに帰ってしまう人が殆どなので、見落とさないでくださいね。

神社のあちこちで見られる見事な石組みは、長野県の高遠の石工集団によるものだそうで、石垣事態も建物群と一緒に重要文化財の指定を受けています。

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社殿を一回り巡り、正面の急階段の「男坂」ではなく、緩やかな「女坂」から戻ることにしました。

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女坂を下ってくると立派な「社務所」があります。「宮様御殿」が併設されています。資料館にもなっているようでしたが、あいにく訪れたこの日は休館となっていました。残念。

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玄関には天狗の面が。この神社は「天狗信仰」があるようですね。御神体の山が只者ではありませんからね。

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見どころ満載の神社でした。暫くしたら改めてゆっくりと参拝に行きたいとおもっています。

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2018年9月27日 (木)

日本三大奇景 妙義山 「妙義神社」 その1

上毛(群馬県)三山の1つである妙義山系の白雲山を御神体とする「妙義神社」を紹介します。

国の名勝に指定され、日本百景でもある妙義山は、太古の時代に噴火して湧き出た溶岩の周囲の堆積物が長い年月をかけて洗い流され、溶岩体だけが残って奇岩として姿を現してできた山だということです。

4つの石門やいろいろな名前の付けられた奇岩が無数に点在しているため、遭難や事故も多く、一筋縄ではいかない大変パワーのある山です。

駐車場に指定されている道の駅に車を止め、道路脇の大鳥居へ進むと、参道が妙義山へと真っ直ぐに伸びていました。

鳥居の奥には御神体の妙義山系の白雲山がそそり立っています。

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白雲山の中腹には「大」の文字が。

これは、本来の名前である「妙義大権現」の「大」のことで、街道を往来する人たちのために、妙義神社を参拝できない人でもこの山の「大」の字に手を合わせて拝めば御利益があるようにと配慮されたものだということで、大昔から掲げられているのだそうです。

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長い坂道の参道とその先の階段を登り上げたところに山門が見えてきました。

山門? ここは神社のはずでは・・・。

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間違いなくお寺の仁王門です。

扁額には、「高顕院」と書かれています。これは、「白雲山 高顕院 石塔寺」というお寺がその昔に有ったためでした。

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実は、私のブログでは珍しくない神仏習合の名残のある神社なのです。

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張り出しの透かし彫りが見事です。

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寺院が有ったエリアから更に神社域へと階段が伸びていて、その先に鳥居が見えました。

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鳥居を抜けると、右側には初代の妙義神社社殿であった「波己曽社社殿」が現れました。

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こちらは、側面の様子です。

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波己曽社社殿」からさらに長ーい階段が伸びています。

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                                    後編へと続く・・・。

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2018年9月15日 (土)

県境上に鎮座する 「熊野神社/熊野皇大神社」

今日は、群馬県と長野県の2県にまたがって建立されている「熊野神社/熊野皇大神社」を紹介します。(以下「熊野神社」)

「熊野神社」は、全国に2500社から3000社あるといわれ、全国各地に分布している中でも代表的な神社といわれています。サッカー日本代表チームのシンボルマークでも有名な八咫烏(やたがらす)の神社です。

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今回紹介する神社は、3000社のトップである「全国三熊野」の1つです。

「全国三熊野」の1つ目は、和歌山県の「熊野三社」(速玉・本宮・那智大社)、2つ目は山形県の「熊野神社」、3つ目は今回の神社です。

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当初は、長倉神社(碓井神社ともいわれた)と、地元の地名の付いた一般的な神社でしたが、いろいろな時代背景の末に神社を真ん中から2つに分けることとなってしまいました。

江戸時代に入って山頂を境に領地が分かれてしまった際に、信州と上州で毎年交互に管理しなければならないことから事は始まりました。明治に入り、廃藩置県が施行されると、山頂の神社の真ん中に県境がひかれてしまいました。真ん中から双方に分割された神社は各々の県に登記をしなければならなくなり、群馬県の「熊野神社」、長野県の「熊野皇大神社」の2社が必然的に誕生することとなったということです。

それではその「熊野神社」を紹介しましょう。

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鳥居の前に立つと、左に長野県、右に群馬県と記した文字石が真ん中に伏せられていました。

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長野県側を登っていくと、神仏習合の名残であるかのような仁王門的な入口が現れます。その昔は、お寺も併設してあったようです。門の左側には随身が祀られ、右側の随身は、群馬県側のお宮内に祀られているようでした。

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門の中央にも長野県と群馬県の境界が記されていました。賽銭箱も長野・群馬と2つあります。この神社で2社参りということになりますね。

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「本宮」を中央にして左側が長野県側の「那智宮」で、「人生の難題解決の神」が祀られています。

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右側が群馬県の「新宮」(写真奥の建物)で、「心の健康の神」が祀られています。両県の建物を見ると、群馬県側が唐破風造り・・・・・。

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長野県側が入母屋造りの建物でした。
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境内に、「信濃の国」の語源となった「科(しな)の木」が御神木としてそそり立っていました。

樹齢1000年を超えているとのことで、科は「結ぶ」という意味があり、葉っぱも型なため縁結びのパワースポットとなっています。

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何度となく訪れている神社ですが、今回は隅々までゆっくりと巡ってきました。

奥社には真田幸村が「松井田城」を攻め落とした際の、初陣の陣を構えた地があります。真田にご興味のある方は行ってみてください。小さな祠があります。

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2018年9月 7日 (金)

秩父三十四観音巡り 「岩盤上の御堂」 龍石寺・岩之上堂

秩父三十四観音巡りの中で、巨大な岩盤の上に建てられた観音堂が19番「龍石寺」、20番「岩之上堂」と2つ続いたのでブログアップしました。

柱の下に基礎石を使うのは昔からの工法ですが、建物全体が1つの巨石を基礎としているとはビックリです。

岩山の上に造るのであれば珍しくはないのでしようが、その建物の部分だけ岩が露出しているので、その基礎岩はその建物の場所だけの巨石なのか、氷山の一角なのかと興味が湧いてしまいました。

まず、十九番の「龍石寺」から紹介します。

境内に入ると、ごつごつと石が飛び出していて足場が悪く、参道の手入れが行き届いていないのかなと思ったのですが、その先の御堂まで一枚岩であることに気づき驚いてしまいました。

入口には観音堂を見守るように六地蔵が立っていました。

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観音堂の左隣には、三途婆堂という小さな御堂があり、三途の川で身ぐるみはがすといわれている「脱衣婆」が祀られているのですが、こちらの「脱衣婆」は、子供の病気を治してくれるといわれているそうです。

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ソリの奇麗な屋根の堂々とした観音堂で、前記のように岩の上に建てられています。

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この岩は裾の荒川まで続いている巨大な岩盤なのでしょうかね。

その荒川を挟んで東西に位置している観音堂が次に紹介する二十番の「岩之上堂」です。

その昔、巡礼は十九番の参拝が終わると二十番へは荒川を渡しの船に乗って川を越え、大覗岩を登って「岩之上堂」を参拝したのだそうです。

岩を登ってということで、「岩之上堂」という名前になったのでしようね。ということは、この観音堂は川から続いた岩山の上なのかもしれませんね。

現在は意外や意外、ぐるりと裏側に回った取り付け道路から参道を降りたところに位置していました。

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草木が観音堂の周りを取り囲むように生い茂り、とても岩山の上とは想像できません。

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なんと、この観音堂は「内田家」個人の持ち物だということで驚いてしまいました。更に、秩父三十四観音の中で一番古い建物なのだそうです。すごすぎますね。

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観音堂を見守るように菩薩と地蔵さまが並んでいました。

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堂内に入って更にビックリ。「千匹猿」が所狭しと天井から吊るされていました。

「困難がさる」「不幸がさる」と言われて、猿は縁起の良い動物といわれていて、各地の神社仏閣に猿をあつらえたものが沢山ありますね。

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さて、建物の基礎石ですが、観音堂の脇を観て感心しました。

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基礎の一枚岩は、雨水路まで奇麗に彫り込まれていました。とても岩とは思えないほど「良い仕事」をしています。

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「石の上にも三年」といいますが、石の上に何百年も建っている観音堂を観て感無量の境地でした。

秩父三十四観音巡りの奥の深さを知る一日でした。

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2018年8月30日 (木)

強力なパワースポット「榛名神社」②

「御水舎」までやってきました。

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これまでは、この「御水舎」で御神水をいただけましたが、あまりにも御神水をいただきたいという人が増えて一般の参拝者がお清めが出来ず、今は採水禁止となってしまいました。人気が思わぬ妨げとなってしまったのですね。

「御水舎」の向こうに榛名川を挟んで「瓶子の滝」が見えます。巨大で水量のある滝ではなく、岩肌を滑り落ちる一筋の滝の美しさが格別です。水を触れる、見る、せせらぎの音を聞くなどの五感に響く水の効能が浄化を促してくれるそうです。参拝者の皆さんが、御水舎で清め、ひと時「瓶子の滝」に見入っていました。

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本宮に続く階段を挟んで、「御水舎」の反対側に「矢立杉」があります。

この杉は、武田信玄が榛名山の裾にある箕輪城を攻める際に、この榛名神社を訪れて矢を立てて戦勝祈願をおこない、城を落とすことができたことから名付けられました。国の天然記念物となっています。

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階段を登り始めてすぐ左側に「神幸殿」が現れました。

春の大祭の際に、本殿の御神体を神輿に乗せて、この「神幸殿」に移すという行事が行われます。

彩色がされず、境内でも比較的に簡素な建物ですが、存在感があります。この建物を含み、その殆どが国の重要文化財となっています。

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階段を登り上げると、「双龍門」が見えてきました。龍の彫刻や絵が施され門のためその名が付けられたそうです。傍らにそびえる奇岩が迫力満点です。

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やっと「本殿」までやってきました。手前が「神楽殿」で、奉納舞が定期的におこなわれています。

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こちらが春の「本殿」の様子です。

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こちらは、紅葉の時期の「本殿」です。雪を抱いた冬も趣があります。
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「本殿」には、1対の龍が梁に巻き付いています。その梁を支えている柱をさすって祈願すると願いが叶えられるかもしれませんね。

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一番手前の拝殿、それに続く幣殿、そして一番奥に本社とつながっていますが、更にその奥にこの神社の本骨頂である「御姿岩」があります。

まさに本社を抱くよう神の御姿がそこに立っています。神々しい御姿です。この神社の最大のパワースポットですが、その御姿を知らずにこの神社を去ってしまう方が多いので絶対に見逃さないでください。

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よく見ると、「御姿岩」の首には三本のお祓い棒(大幣)が奉納されています。こちらも見逃さず手を合わせるとよいと思います。

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今、この神社では残念ながら「国祖社」という勝軍地蔵、阿弥陀仏を祀る神仏習合の名残の御堂がありますが、国の修復事業で長年拝観できなくなっています。

現場には、「国祖社」が描かれたシートが張られているので雰囲気は味わえるとおもいます。(「神楽殿」と「本殿」の間に位置しています。)

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いかがでしたでしょうか。大きな願いも叶えてくれるといわれている神社です。機会がありましたら出掛けてみてください。

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2018年8月29日 (水)

強力なパワースポット「榛名神社」①

今回は、日本の真ん中にある群馬県榛名山に、あらゆる神様が鎮座するといわれている強力パワースポットの「榛名神社」です。(※添付写真は、撮影時期が統一されていません。)

この神社の歴史は古く、創建は500年台のようで、900年台に取りまとめられた全国の神社総覧にはすでに格式の高い神社として名があげられているそうです。

創建当寺は神仏習合が当たり前で、「榛名山巌殿寺・満行宮」と称して上野の寛永寺の管理下に置かれていたようです。やがて神仏分離の時代になると寺仏が排除され、現在の「榛名神社」となったようです。

それでは「榛名神社」の玄関口から紹介しましょう。

参道の入り口には20mもの高さの大鳥居が現れます。こちらから本宮まで700mほどの参道が続きます。

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坂道を暫く進むと、鳥居と仁王門がセットで現れます。

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鳥居を潜ると「随神門 (旧 仁王門)」が現れました。創建当時は神仏習合の時代であり、門の左右には仁王さまが睨みを利かせていたそうですが、現在は仁王像は排除され、随身像に入れ替わっています。仁王像はどこに行ってしまったのでしょうか。解体処分されていたとしたら歴史遺産としては勿体のないことですね。

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「髄神門」を抜けると「みそぎ橋」が現れます。こちらの橋を渡ることにより榛名山から流れ出る清流で身を祓い清めてくれるということです。このあたりから神聖な領域に入っていくような空気が漂います。

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橋のたもとには、毘沙門天の像が立っています。

参道には七福神の七体が各所に祀られいて、あらゆる福を招き入れてくれます。

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ここからまた暫く石畳の参道が続きます。杉の巨木が建ち並び、参道からも木に触れることができるので、パワーをいただくのもよいかもしれません。

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石階段の上に「三重の塔」が現れました。こちらの建物は、神仏分離のときに「神宝殿」と称して神社の建物であるとして排除を免れた建物だそうです。塔の傍らに鳥居を配したのはそのためでしょうか。神社のあちこちで仏教の名残が見え隠れして不思議な空間です。

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「三重の塔」を過ぎると杉林から巨岩・奇岩へと景色が変わっていきます。

朱色の「神橋」が現れ進行左側の巨岩に隙間が見えてきます。これは、「行者峡」といって、その昔、役行者が修行をおこなった場所だという事です。

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「神橋」を過ぎると巨岩に戸板がはめ込まれたものが現れました。

ここは、「東面堂」という建物が過去に存在し、堂の奥の岩に穴を掘り、秘仏の「千手観音」が安置されていたのだそうです。何故なくなったのかは、想像のとおりです。

かの有名な歌川広重の榛名神社を描いた絵には、この「東面堂」がしっかりと描かれているということです。絵を基に是非再建していただきたいものですね。

堂の屋根が岩に接していた部分が彫り込まれていて、過去にここに建物があったことを確認できます。

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階段の上に「御水舎」がみえています。

いよいよ本宮が近づいてきました。

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「榛名神社」②につづく

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2018年8月24日 (金)

「高野山」③総本山金剛峯寺/高野町

今回は、真言宗の総本山である「金剛峯寺」を紹介します。

言わずと知れた弘法大師が開祖のお寺で、一番最初に紹介した「大門」を入口として高野山一帯の寺院群すべてがこの寺の境内だという事です。1回目に紹介した「金堂」がこのお寺の本堂にあたるそうです。

総本山の入口にやってきました。身が凛と引き締まるおもいです。

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こちらが「正門」です(山門は「大門」)。この敷地内の建物の中で一番古いのだそうです。創建当時は天皇・皇族そして当寺の住職しか通れなかったのだそうで、一般僧侶含めその他の人たちは右の塀に造られた入口しか利用できなかったのだそうです。

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門を潜ると、「金剛峯寺」が現れました。玄関が二つあり、正面は「正門」と同様に一般参拝者は入れないので、右側の玄関から建物に入ります。

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屋根の上に桶が幾つも乗っています。これは、何度となく火災にあった教訓を生かし、たまった雨水を屋根に撒いて湿らせて火の粉が降っても類焼しないようにしたものだそうです。歴史的な寺院の火災は多いですからね。

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屋根は、日本古来の伝統「檜皮葺」のために燃えやすいんですね。幾重にも重ねられた檜の皮の層が見事です。

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内覧はできるものの撮影はできないので残念ですが、狩野一派の手がけた襖絵の豪華絢爛な部屋が次々と現れ、心洗われました。

長い回廊の外は、日本でも最大級の庭園が次々と現れます。

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こちらが台所で、唯一室内を撮影した写真です。当寺に仕えていた皆さんの食事を賄っていたところです。現在も祭事の際にはまだ使われているのだそうです。かまどで炊いたご飯はおいしいでしょうね。

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真言宗の総本山の奥深さを知る貴重な機会となりました。

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2018年8月21日 (火)

真田氏ゆかりの寺 「高野山」②蓮華定院/高野町

高野山に入場したところで真田氏に一番ゆかりのある場所を紹介します。

御存知のように、関ヶ原の戦いに敗れた真田昌幸と真田幸村親子は処刑を免れ、ここ高野山の「蓮華定院」に閉じ込められ、謹慎生活を送ることになりました。

長男の真田信之が徳川方の小松姫と結婚していたため、小松姫の父・本田忠勝と共に真田昌幸と真田幸村親子の死罪を許してもらえるように懇願したため、なんとか死罪を免れることができました。

死罪は免れたものの、罪を償いなさいということで日本仏教の聖地であるこの高野山に蟄居されたようです。しかし、殺生が恒の勝ち負けなので、勝者・敗者ともどっちもどっちともいえますよね。

高野山の「蓮華定院」は、以前より真田の宿坊だったため、居心地はそれほど悪くなかったのではないかと思われますが、実際はいろいろと制約があったので大変だったでしょうね。

というわけで、「蓮華定院」に到着しました。別名「真田坊」といわれるだけあり、六文銭の提灯が下がっています。

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門を入ると、品のある建物と庭が現れました。しかし、こちらは、宿坊なので、宿泊者と当寺の檀家さんしか建物に入ることができません。

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生憎、短期間の旅行だったため、こちらに泊まって内覧することはできませんでした。

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なまこ壁が、建物の周りを奇麗に包んでいました。当時真田氏の暮らした「蓮華定院」は焼失し、現在の建物は再建されたものだそうですが、周囲を取り囲んでいた塀も当時と同じ高さだとすれば、そんなに窮屈な環境ではなかったかもしれませんね。

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真田幸村が大坂の陣で亡くなった後も兄の真田信之が親子の菩提寺として守った寺だったため、真田氏の家紋があちこちにあつらわれています。

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「蓮華定院」の裏手には、真田信之(右側)と真田信政の墓があります。

最後にお参りさせていただき、真田氏が高野山で暮らした「蓮華定院」を後にしました。

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2018年8月20日 (月)

真田氏ゆかりの寺 「高野山」①金剛峯寺/高野町

この回は、高野山の真言宗総本山の中心寺院である「根本道場」「金剛峯寺(こんごうぶじ)」を紹介します。

九度山から山道を登ること暫し、高野山の入口である大門に到着しました。実際に高野山という名の山はこの場所には無いのですが、この地の寺院集合地を総称して「高野山」といっているようです。

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大きな大門の両脇には巨大な仁王像が目を光らせています。この仁王像は、奈良東大寺の南大門に次ぐ日本で二番目の大きさなのだそうです。

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大門を後に、「根本道場」に向かいました。

入口の「中門」に到着しました。二度の焼失後172年ぶりの平成27年に再建された建物です。

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四天王が背中合わせに四体安置されていますが、「持国天」と「多聞天」は1843年の焼失から救い出された像で「広目天」と「増長天」が今回の創建に合わせて造られた像なのだそうです。

こちらは、1820年に建立された当時の「多聞天像」です。眼光鋭く邪悪なものから守っています。

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こちらは、新しく安置された「増長天像」です。
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門を潜り高野山の総本堂の「金堂」まできました。丁度、信心深いお遍路さんたちが参拝しているところでした。

手前の常夜灯は、奈良東大寺と同じものだそうです。

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「金堂」を右手に進むと眩いばかりの「根本大塔」が現れました。

多宝塔は、この高野山が日本で最初に造られたものだそうですが、何度も焼失しては建替えられて、現在の建物は1937年に建てられたものだそうです。

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神々しい光が差し込んで更に横からも1枚パチリ。

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「壇上伽藍」内部で参拝させていただき、次に「御影堂」「准胝堂」に向かいます。

毎年の重要な行事がこちらの「御御堂」で行われます。

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「准胝堂」から「壇上伽藍」の方向でもう1枚パチリ。

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「金堂」を反時計回りに1周し、「六角経蔵」までやってきました。なんと、建物を手で回せるそうです。何人も居なかったので回すことができませんでした。回っている姿を見てみたいものです。

光がいい感じに差し込んで一層眩く見えていました。

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信州から遥か遠く高野山に幽閉された真田氏はどんな思いでこの地で暮らしたのでしょうか?

次回は、真田氏が暮らした「蓮華定院」を紹介します。

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2018年8月17日 (金)

真田氏ゆかりの神社 「丹生官省符神社」/九度山町

前回紹介した「慈尊院」の南側にある石段を登り上げると、当寺の守護神である「丹生官省符神社」(にうかんしょうぶじんじゃ)が現れます。

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この神社は「慈尊院」の境内に弘法大師によって創建され、高野山の入り口という事で開山当時は「丹生高野明神」と呼ばれました。

現在の「高野明神 丹生明神」は、高野山の壇上伽藍境内に在ります。

今では道路が整備され、高野山まで車で行けますが、創建当時は「慈尊院」を出発点として高野山まで22㎞の参道が繋がっていました。

高野山までの参道は1町(約109m)ごとに216本もの町石が道しるべとして立てられていて「高野山町石道」としてユネスコの世界遺産群の1つとして登録されています。

石段を登ってしばらくすると右側にその町石の第1番が立っています。

一番上まで登ってきました。鳥居の向こうに拝殿が見えてきました。

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拝殿まで来ると、外人のお遍路さんが右の参道から現れました。いでたちが白衣に輪袈裟さらに金剛杖と本格的でびっくりしました。高野山方面から現れたということは、すでに高野山に参拝してきたということでしょうか。旅行気分の普通の恰好の日本人である自分が恥ずかしいような複雑な気分でした。

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奥に本殿が見えました。九度山のこの地に真田氏は幽閉され、この地の氏神様としてその生活も観ていたであろう神社ですが、この神社の参拝は自由にできたのでしょうか。

真田氏は、九度山の町民との交流はあったようなので、外出の自由は制限されていたとしてもそもそもが高野山に幽閉されていた身であることを考えると何度となく参拝していたのではないかと想像されます。

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拝殿で手を合わせ、この旅の安全を祈願させていただきました。

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お参りを済ませ、あちこちと写真を撮っていると、社務所の方がこの神社から見える高野山の場所を教えてくれました。ありがとうございました。
御朱印をいただき、この後一般道で高野山へ向かいました。

次回につづく。

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