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2018年8月16日 (木)

真田氏ゆかりの寺 万年山「慈尊院」/九度山町

「真田氏ゆかりの寺」のブログアップも1年半以上の間が空き、久々となりました。

段々と真田ゆかりの地が遠方となったため、致し方ないことですが、実は九度山は1年ほど前に訪れていました。

暫くのブログは時間差のある紹介となりますことをご了承ください。

九度山は、「慈尊院」「丹生官省符神社」「高野山」「真田庵」と何回かに分けてご紹介していきます。

まず、「高野山」の入り口となる「慈尊院」から紹介します。

「慈尊」とは、こちらの「弥勒堂」に祀られた御本尊の「弥勒菩薩」のことだそうです。

高野山の裾に位置するこの九度山は、高野山を開いた弘法大師が、女人禁制の高野山に入れなかった「慈尊院」に暮らす母を訪ねて、月に何度も(九度も)行き来した地という事で名付けられたのだと知りました。この地名の九度(九回)とは何が九回なのだろうと思っていたのですが、目からうろこでした。

山門を潜り、境内へ進むと、正面に色鮮やかな「多宝塔」が見えてきました。

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真田昌幸と真田幸村は、高野山に幽閉されるも、同行した家臣達が大所帯だったために高野山にその全員を収容するスペースが無かったようです。また、女人禁制のために高野山入りが出来なかった妻子たちは裾の九度山に住居を構えなければならない別居生活だったようです。妻子に会いにゆく真田の人たちを同行監視しなければならない大変さ。高野山で冬の寒さに備えられる大人数の居住スペースが無い、など不便が多く、高野山の裾の九度山での蟄居生活となったようです。

「多宝塔」の左手に「弥勒堂」がありました。弘法大師は、母の亡くなった後にこの「弥勒堂」を建てて「弥勒菩薩」を祀りました。「弥勒菩薩」は、国宝に指定されていて、寺の秘仏として保護されていたそうで、調査は近年になってからだという事です。

この「慈尊院」は、弘法大師の母の暮らした所、そして真田氏の妻たちや高野山に立ち入れない女性の暮らした地であるため、女性の高野山「女人高野」と言われています。

そのためこの「弥勒堂」は、子授け・安産・育児・授乳などを祈願して、乳房型の絵馬を奉納することで有名です。

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「弥勒堂」の前には本堂があり、その後ろに「弥勒堂」を配しているため、神社の拝殿様式に似ていて、弘法大師の母に対する敬愛の気持ちが伝わってきました。
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本堂を時計回りにぐるりと回ると、最初に正面に見えていた「多宝塔」に戻りました。

真言宗を代表する建築様式のこの「多宝塔」は、真田氏が滅びて間もなくのころ再建された建物だという事です。

こちらには、大宇宙の慈母である大日如来が祀られています。

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多宝塔の左手には高野山へと続く階段が続いています。

この石段の上に「丹生官省符神社」が有りますので次回紹介します。

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