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2018年8月

2018年8月31日 (金)

ワイドタイヤの静粛性・乗り心地は改善できるか

自動車のタイヤは、一般的に静かで乗り心地の良いものが好まれますが、スポーツ性の高い車となるとワイドタイヤの足回り傾向が強くなり、静粛性・乗り心地がどうしても犠牲となってしまいます。

しっかりした足回りのタイヤで安定走行を追求したい、しかし静かでゆったりとした走行もしたい、と相反した難しい条件ですがそれを叶えたいとの思いは拭えないものです。

では、ワイドタイヤでも静粛性・乗り心地を追求した高性能タイヤを履けばこの難しい条件はクリアーされるのでしょうか。

そこで、私の車で長期間の検証(←大袈裟)をおこなってみました。

私の乗っている車の標準タイヤサイズは 245/40/19 です。純正タイヤ・高性能タイヤ・スタッドレスタイヤと全く性格の違う3タイプのタイヤで乗り比べてみました。

  こちらは納車時の純正タイヤ 「 ダンロップ SPスポーツ MAXX 050 」

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  こちらは、静粛性・乗り心地を追求した 「 ブリジストン レグノ GR-XI 」

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  最後に冬用のスタッドレスタイヤ 「 ブリジストン BLIZZAK REVO 2 」 です。

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この3セットの ①乗り心地 ②静粛性 ③運動性能 を比べてみました。

まず、「ダンロップ SPスポーツ」から。

① 乗り心地は、トレッドが3タイプの中で一番固いため、ごつごつ感じがあります。

② 静粛性は、やはりトレッドが固く、接地面が大きいのでそれなりの音は発生してしまいますが、不快なレベルではありません。

③ 公道で走る範囲での山道などのコーナリング性能は問題ありません。

次に、「 ブリジストン レグノ GR-XI 」です。

① 乗り心地は、接地面が広いためにさすがのレグノでも充分とはいえないレベルでした。しかし、こんな大きな接地面のタイヤでも多少は改善できる余地はあるものなのだなと思いました。

② 静粛性はさすがで、舗装の粒子が細かいところは非常に静かです。しかし、最近の高速道路などは透水性舗装の場所が多くなり、このように路材の粒子が大きい舗装では性能を充分に発揮できない。3タイプのタイヤともに透水性舗装の場所は苦戦です。

③ 運動性能は、トレッドコンパウンドが柔らかいせいか、タイトなコーナーでの追従性能も良好です。

最後に、「 ブリジストン BLIZZAK REVO 2 」です。

① 乗り心地は、前の2種に比べてブロックが細かくコンパウンドが柔らかいためか比較的良好です。

② 静粛性は、スタッドレスと思えないほど静かで性能の進化に感動しました。かといってレグノほどのレベルではありませんが、スタッドレス全般のレベルに比較して良好です。

③ 運動性能は、コンパウンドが柔らかいために一定のレベルまで粘りますが、スタッドレス特有の細かいブロックパターンが災いして一定のレベルを越すと腰砕けになることがあります(乾燥舗装路路にて)。

以上、3タイプの乗り比べですが、意外なことに①乗り心地は「 ブリジストン BLIZZAK REVO 2 」、②静粛性は「 ブリジストン レグノ GR-XI 」、③運動性能は「ダンロップ SPスポーツ」と別れてしまいました。

しかし、「 ブリジストン レグノ GR-XI 」の性能は特筆するものがあり、今まではレグノのワイドサイズは販売されていませんでしたが、現在では販売されるようになったので納得のいくレベルに達したためと判断したのでしょうね。

扁平率が低く広い接地面での条件下では、静粛性・乗り心地の対比は不利ですが、そこに着目して開発したタイヤはそれなりの性能を有していました。

40扁平のワイドタイヤでも優雅にしなやかに乗れるラグジュアリースポーツカーの時代になってきました。まだまだ良いものが現れると思います。更に進化したこれからのタイヤが楽しみです。

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2018年8月30日 (木)

強力なパワースポット「榛名神社」②

「御水舎」までやってきました。

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これまでは、この「御水舎」で御神水をいただけましたが、あまりにも御神水をいただきたいという人が増えて一般の参拝者がお清めが出来ず、今は採水禁止となってしまいました。人気が思わぬ妨げとなってしまったのですね。

「御水舎」の向こうに榛名川を挟んで「瓶子の滝」が見えます。巨大で水量のある滝ではなく、岩肌を滑り落ちる一筋の滝の美しさが格別です。水を触れる、見る、せせらぎの音を聞くなどの五感に響く水の効能が浄化を促してくれるそうです。参拝者の皆さんが、御水舎で清め、ひと時「瓶子の滝」に見入っていました。

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本宮に続く階段を挟んで、「御水舎」の反対側に「矢立杉」があります。

この杉は、武田信玄が榛名山の裾にある箕輪城を攻める際に、この榛名神社を訪れて矢を立てて戦勝祈願をおこない、城を落とすことができたことから名付けられました。国の天然記念物となっています。

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階段を登り始めてすぐ左側に「神幸殿」が現れました。

春の大祭の際に、本殿の御神体を神輿に乗せて、この「神幸殿」に移すという行事が行われます。

彩色がされず、境内でも比較的に簡素な建物ですが、存在感があります。この建物を含み、その殆どが国の重要文化財となっています。

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階段を登り上げると、「双龍門」が見えてきました。龍の彫刻や絵が施され門のためその名が付けられたそうです。傍らにそびえる奇岩が迫力満点です。

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やっと「本殿」までやってきました。手前が「神楽殿」で、奉納舞が定期的におこなわれています。

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こちらが春の「本殿」の様子です。

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こちらは、紅葉の時期の「本殿」です。雪を抱いた冬も趣があります。
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「本殿」には、1対の龍が梁に巻き付いています。その梁を支えている柱をさすって祈願すると願いが叶えられるかもしれませんね。

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一番手前の拝殿、それに続く幣殿、そして一番奥に本社とつながっていますが、更にその奥にこの神社の本骨頂である「御姿岩」があります。

まさに本社を抱くよう神の御姿がそこに立っています。神々しい御姿です。この神社の最大のパワースポットですが、その御姿を知らずにこの神社を去ってしまう方が多いので絶対に見逃さないでください。

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よく見ると、「御姿岩」の首には三本のお祓い棒(大幣)が奉納されています。こちらも見逃さず手を合わせるとよいと思います。

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今、この神社では残念ながら「国祖社」という勝軍地蔵、阿弥陀仏を祀る神仏習合の名残の御堂がありますが、国の修復事業で長年拝観できなくなっています。

現場には、「国祖社」が描かれたシートが張られているので雰囲気は味わえるとおもいます。(「神楽殿」と「本殿」の間に位置しています。)

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いかがでしたでしょうか。大きな願いも叶えてくれるといわれている神社です。機会がありましたら出掛けてみてください。

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2018年8月29日 (水)

強力なパワースポット「榛名神社」①

今回は、日本の真ん中にある群馬県榛名山に、あらゆる神様が鎮座するといわれている強力パワースポットの「榛名神社」です。(※添付写真は、撮影時期が統一されていません。)

この神社の歴史は古く、創建は500年台のようで、900年台に取りまとめられた全国の神社総覧にはすでに格式の高い神社として名があげられているそうです。

創建当寺は神仏習合が当たり前で、「榛名山巌殿寺・満行宮」と称して上野の寛永寺の管理下に置かれていたようです。やがて神仏分離の時代になると寺仏が排除され、現在の「榛名神社」となったようです。

それでは「榛名神社」の玄関口から紹介しましょう。

参道の入り口には20mもの高さの大鳥居が現れます。こちらから本宮まで700mほどの参道が続きます。

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坂道を暫く進むと、鳥居と仁王門がセットで現れます。

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鳥居を潜ると「随神門 (旧 仁王門)」が現れました。創建当時は神仏習合の時代であり、門の左右には仁王さまが睨みを利かせていたそうですが、現在は仁王像は排除され、随身像に入れ替わっています。仁王像はどこに行ってしまったのでしょうか。解体処分されていたとしたら歴史遺産としては勿体のないことですね。

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「髄神門」を抜けると「みそぎ橋」が現れます。こちらの橋を渡ることにより榛名山から流れ出る清流で身を祓い清めてくれるということです。このあたりから神聖な領域に入っていくような空気が漂います。

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橋のたもとには、毘沙門天の像が立っています。

参道には七福神の七体が各所に祀られいて、あらゆる福を招き入れてくれます。

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ここからまた暫く石畳の参道が続きます。杉の巨木が建ち並び、参道からも木に触れることができるので、パワーをいただくのもよいかもしれません。

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石階段の上に「三重の塔」が現れました。こちらの建物は、神仏分離のときに「神宝殿」と称して神社の建物であるとして排除を免れた建物だそうです。塔の傍らに鳥居を配したのはそのためでしょうか。神社のあちこちで仏教の名残が見え隠れして不思議な空間です。

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「三重の塔」を過ぎると杉林から巨岩・奇岩へと景色が変わっていきます。

朱色の「神橋」が現れ進行左側の巨岩に隙間が見えてきます。これは、「行者峡」といって、その昔、役行者が修行をおこなった場所だという事です。

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「神橋」を過ぎると巨岩に戸板がはめ込まれたものが現れました。

ここは、「東面堂」という建物が過去に存在し、堂の奥の岩に穴を掘り、秘仏の「千手観音」が安置されていたのだそうです。何故なくなったのかは、想像のとおりです。

かの有名な歌川広重の榛名神社を描いた絵には、この「東面堂」がしっかりと描かれているということです。絵を基に是非再建していただきたいものですね。

堂の屋根が岩に接していた部分が彫り込まれていて、過去にここに建物があったことを確認できます。

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階段の上に「御水舎」がみえています。

いよいよ本宮が近づいてきました。

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「榛名神社」②につづく

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2018年8月25日 (土)

今宵は日本酒を 「高野山 般若湯」

本日の日本酒は、最近ブログアップしている高野山の「般若湯」です。

「般若湯」

「般若湯」ってなに? と思うかもしれませんが、これは僧侶のお酒の隠語なんです。

禅宗などの寺院の門前には、「不許葷酒入山門」と刻まれた石柱が多く立っていて、私のブログでも何度か紹介していますが、「酒を飲んでいるものは入ってはならぬ」というものです。

お経の「般若波羅蜜多」とは、簡単にいうと「自らの行動を慎み、自己の心をコントロールすることにより、正しい見識ができる」ということですから、お酒を飲んだ状態では正しい判断をすることができないという事のようです。

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しかし、僧侶がお酒を飲むことを禁止しているわけではなく、健全な飲酒をしましょうとされているようです。

「般若」とは、「真実を見抜くさとりの智恵」で、そのエキスということで「般若湯」とよばれたようですが。

さて、そのエキスのお味は・・・。

むー、さっぱりしたお酒です。やっぱり、この手のお酒はこってり芳醇じゃダメなんでしょうね。

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2018年8月24日 (金)

「高野山」③総本山金剛峯寺/高野町

今回は、真言宗の総本山である「金剛峯寺」を紹介します。

言わずと知れた弘法大師が開祖のお寺で、一番最初に紹介した「大門」を入口として高野山一帯の寺院群すべてがこの寺の境内だという事です。1回目に紹介した「金堂」がこのお寺の本堂にあたるそうです。

総本山の入口にやってきました。身が凛と引き締まるおもいです。

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こちらが「正門」です(山門は「大門」)。この敷地内の建物の中で一番古いのだそうです。創建当時は天皇・皇族そして当寺の住職しか通れなかったのだそうで、一般僧侶含めその他の人たちは右の塀に造られた入口しか利用できなかったのだそうです。

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門を潜ると、「金剛峯寺」が現れました。玄関が二つあり、正面は「正門」と同様に一般参拝者は入れないので、右側の玄関から建物に入ります。

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屋根の上に桶が幾つも乗っています。これは、何度となく火災にあった教訓を生かし、たまった雨水を屋根に撒いて湿らせて火の粉が降っても類焼しないようにしたものだそうです。歴史的な寺院の火災は多いですからね。

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屋根は、日本古来の伝統「檜皮葺」のために燃えやすいんですね。幾重にも重ねられた檜の皮の層が見事です。

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内覧はできるものの撮影はできないので残念ですが、狩野一派の手がけた襖絵の豪華絢爛な部屋が次々と現れ、心洗われました。

長い回廊の外は、日本でも最大級の庭園が次々と現れます。

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こちらが台所で、唯一室内を撮影した写真です。当寺に仕えていた皆さんの食事を賄っていたところです。現在も祭事の際にはまだ使われているのだそうです。かまどで炊いたご飯はおいしいでしょうね。

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真言宗の総本山の奥深さを知る貴重な機会となりました。

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2018年8月23日 (木)

今宵はワインを 「BICHOT 1988年」MACON-VILLAGES

今日は、高野山から一息入れて、最近ブログアップが御無沙汰だったワインを紹介します。

今回のワインは、フランスワインでは有名な「BICHOT(ビショー社)」のマコネ地区の白ワインです。当時の購入価格が、2,500円の記録がありました。

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1988年ボトリングの30年経過した古酒なのでどんな風味になっているか楽しみでした。そもそも、この手の白ワインは、寝かせないほうがいいのでしょうが、あえてそうしたものです。

この日、このワインを選んだのは30年も経過していたためコルクの劣化が懸念されたためでした。せっかく寝かせても環境が悪くなると雑菌が入って風味が悪くなりますからね。

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さー、開栓です。この日のために、冷やしておきました。

色は30年の時を経て琥珀色に変身しています。やはり、コルクはぼろぼろになっていました。

香りは・・・。

おー、フレッシュな香りでビックリです。雑味の入った匂いがなく一安心。

さて、一口。

わー、おいしい。ビックリ!

マコネの白ワイン独特の切れの良い酸味が残っています。辛口が少し引っ込んですごくすっきりとしたおいしいワインに変身していました。

当初、寝かせたワイン独特の丸みや甘味を予想していたのですが、このワインの特色の味を30年経っても維持していたことに驚きでした。

これも、大手ビショー社の蒸留技術、管理技術の賜物ですね。

30年の時を経て日の目を見たワインに一際感激のひと時でした。

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2018年8月21日 (火)

真田氏ゆかりの寺 「高野山」②蓮華定院/高野町

高野山に入場したところで真田氏に一番ゆかりのある場所を紹介します。

御存知のように、関ヶ原の戦いに敗れた真田昌幸と真田幸村親子は処刑を免れ、ここ高野山の「蓮華定院」に閉じ込められ、謹慎生活を送ることになりました。

長男の真田信之が徳川方の小松姫と結婚していたため、小松姫の父・本田忠勝と共に真田昌幸と真田幸村親子の死罪を許してもらえるように懇願したため、なんとか死罪を免れることができました。

死罪は免れたものの、罪を償いなさいということで日本仏教の聖地であるこの高野山に蟄居されたようです。しかし、殺生が恒の勝ち負けなので、勝者・敗者ともどっちもどっちともいえますよね。

高野山の「蓮華定院」は、以前より真田の宿坊だったため、居心地はそれほど悪くなかったのではないかと思われますが、実際はいろいろと制約があったので大変だったでしょうね。

というわけで、「蓮華定院」に到着しました。別名「真田坊」といわれるだけあり、六文銭の提灯が下がっています。

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門を入ると、品のある建物と庭が現れました。しかし、こちらは、宿坊なので、宿泊者と当寺の檀家さんしか建物に入ることができません。

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生憎、短期間の旅行だったため、こちらに泊まって内覧することはできませんでした。

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なまこ壁が、建物の周りを奇麗に包んでいました。当時真田氏の暮らした「蓮華定院」は焼失し、現在の建物は再建されたものだそうですが、周囲を取り囲んでいた塀も当時と同じ高さだとすれば、そんなに窮屈な環境ではなかったかもしれませんね。

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真田幸村が大坂の陣で亡くなった後も兄の真田信之が親子の菩提寺として守った寺だったため、真田氏の家紋があちこちにあつらわれています。

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「蓮華定院」の裏手には、真田信之(右側)と真田信政の墓があります。

最後にお参りさせていただき、真田氏が高野山で暮らした「蓮華定院」を後にしました。

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2018年8月20日 (月)

真田氏ゆかりの寺 「高野山」①金剛峯寺/高野町

この回は、高野山の真言宗総本山の中心寺院である「根本道場」「金剛峯寺(こんごうぶじ)」を紹介します。

九度山から山道を登ること暫し、高野山の入口である大門に到着しました。実際に高野山という名の山はこの場所には無いのですが、この地の寺院集合地を総称して「高野山」といっているようです。

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大きな大門の両脇には巨大な仁王像が目を光らせています。この仁王像は、奈良東大寺の南大門に次ぐ日本で二番目の大きさなのだそうです。

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大門を後に、「根本道場」に向かいました。

入口の「中門」に到着しました。二度の焼失後172年ぶりの平成27年に再建された建物です。

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四天王が背中合わせに四体安置されていますが、「持国天」と「多聞天」は1843年の焼失から救い出された像で「広目天」と「増長天」が今回の創建に合わせて造られた像なのだそうです。

こちらは、1820年に建立された当時の「多聞天像」です。眼光鋭く邪悪なものから守っています。

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こちらは、新しく安置された「増長天像」です。
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門を潜り高野山の総本堂の「金堂」まできました。丁度、信心深いお遍路さんたちが参拝しているところでした。

手前の常夜灯は、奈良東大寺と同じものだそうです。

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「金堂」を右手に進むと眩いばかりの「根本大塔」が現れました。

多宝塔は、この高野山が日本で最初に造られたものだそうですが、何度も焼失しては建替えられて、現在の建物は1937年に建てられたものだそうです。

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神々しい光が差し込んで更に横からも1枚パチリ。

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「壇上伽藍」内部で参拝させていただき、次に「御影堂」「准胝堂」に向かいます。

毎年の重要な行事がこちらの「御御堂」で行われます。

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「准胝堂」から「壇上伽藍」の方向でもう1枚パチリ。

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「金堂」を反時計回りに1周し、「六角経蔵」までやってきました。なんと、建物を手で回せるそうです。何人も居なかったので回すことができませんでした。回っている姿を見てみたいものです。

光がいい感じに差し込んで一層眩く見えていました。

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信州から遥か遠く高野山に幽閉された真田氏はどんな思いでこの地で暮らしたのでしょうか?

次回は、真田氏が暮らした「蓮華定院」を紹介します。

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2018年8月17日 (金)

真田氏ゆかりの神社 「丹生官省符神社」/九度山町

前回紹介した「慈尊院」の南側にある石段を登り上げると、当寺の守護神である「丹生官省符神社」(にうかんしょうぶじんじゃ)が現れます。

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この神社は「慈尊院」の境内に弘法大師によって創建され、高野山の入り口という事で開山当時は「丹生高野明神」と呼ばれました。

現在の「高野明神 丹生明神」は、高野山の壇上伽藍境内に在ります。

今では道路が整備され、高野山まで車で行けますが、創建当時は「慈尊院」を出発点として高野山まで22㎞の参道が繋がっていました。

高野山までの参道は1町(約109m)ごとに216本もの町石が道しるべとして立てられていて「高野山町石道」としてユネスコの世界遺産群の1つとして登録されています。

石段を登ってしばらくすると右側にその町石の第1番が立っています。

一番上まで登ってきました。鳥居の向こうに拝殿が見えてきました。

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拝殿まで来ると、外人のお遍路さんが右の参道から現れました。いでたちが白衣に輪袈裟さらに金剛杖と本格的でびっくりしました。高野山方面から現れたということは、すでに高野山に参拝してきたということでしょうか。旅行気分の普通の恰好の日本人である自分が恥ずかしいような複雑な気分でした。

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奥に本殿が見えました。九度山のこの地に真田氏は幽閉され、この地の氏神様としてその生活も観ていたであろう神社ですが、この神社の参拝は自由にできたのでしょうか。

真田氏は、九度山の町民との交流はあったようなので、外出の自由は制限されていたとしてもそもそもが高野山に幽閉されていた身であることを考えると何度となく参拝していたのではないかと想像されます。

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拝殿で手を合わせ、この旅の安全を祈願させていただきました。

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お参りを済ませ、あちこちと写真を撮っていると、社務所の方がこの神社から見える高野山の場所を教えてくれました。ありがとうございました。
御朱印をいただき、この後一般道で高野山へ向かいました。

次回につづく。

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2018年8月16日 (木)

真田氏ゆかりの寺 万年山「慈尊院」/九度山町

「真田氏ゆかりの寺」のブログアップも1年半以上の間が空き、久々となりました。

段々と真田ゆかりの地が遠方となったため、致し方ないことですが、実は九度山は1年ほど前に訪れていました。

暫くのブログは時間差のある紹介となりますことをご了承ください。

九度山は、「慈尊院」「丹生官省符神社」「高野山」「真田庵」と何回かに分けてご紹介していきます。

まず、「高野山」の入り口となる「慈尊院」から紹介します。

「慈尊」とは、こちらの「弥勒堂」に祀られた御本尊の「弥勒菩薩」のことだそうです。

高野山の裾に位置するこの九度山は、高野山を開いた弘法大師が、女人禁制の高野山に入れなかった「慈尊院」に暮らす母を訪ねて、月に何度も(九度も)行き来した地という事で名付けられたのだと知りました。この地名の九度(九回)とは何が九回なのだろうと思っていたのですが、目からうろこでした。

山門を潜り、境内へ進むと、正面に色鮮やかな「多宝塔」が見えてきました。

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真田昌幸と真田幸村は、高野山に幽閉されるも、同行した家臣達が大所帯だったために高野山にその全員を収容するスペースが無かったようです。また、女人禁制のために高野山入りが出来なかった妻子たちは裾の九度山に住居を構えなければならない別居生活だったようです。妻子に会いにゆく真田の人たちを同行監視しなければならない大変さ。高野山で冬の寒さに備えられる大人数の居住スペースが無い、など不便が多く、高野山の裾の九度山での蟄居生活となったようです。

「多宝塔」の左手に「弥勒堂」がありました。弘法大師は、母の亡くなった後にこの「弥勒堂」を建てて「弥勒菩薩」を祀りました。「弥勒菩薩」は、国宝に指定されていて、寺の秘仏として保護されていたそうで、調査は近年になってからだという事です。

この「慈尊院」は、弘法大師の母の暮らした所、そして真田氏の妻たちや高野山に立ち入れない女性の暮らした地であるため、女性の高野山「女人高野」と言われています。

そのためこの「弥勒堂」は、子授け・安産・育児・授乳などを祈願して、乳房型の絵馬を奉納することで有名です。

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「弥勒堂」の前には本堂があり、その後ろに「弥勒堂」を配しているため、神社の拝殿様式に似ていて、弘法大師の母に対する敬愛の気持ちが伝わってきました。
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本堂を時計回りにぐるりと回ると、最初に正面に見えていた「多宝塔」に戻りました。

真言宗を代表する建築様式のこの「多宝塔」は、真田氏が滅びて間もなくのころ再建された建物だという事です。

こちらには、大宇宙の慈母である大日如来が祀られています。

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多宝塔の左手には高野山へと続く階段が続いています。

この石段の上に「丹生官省符神社」が有りますので次回紹介します。

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2018年8月13日 (月)

私鉄ローカル線巡り 「銚子電気鉄道」

ちょっと時間が経過してしまいましたが、5月下旬に関東の最東端の鉄道である「銚子電気鉄道」に行ってきました。(以後「銚子電鉄」)

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「銚子電鉄」は、平成18年に諸般の事情により定期的に実施する車両の法定検査が受けられないほどの経営危機に陥っていました。当然、法定検査を受けていない車両は走らせてはいけないので営業ができなくなってしまいます。

もはやこのまま廃線かと思われましたが、この危機を知った人たちがウェブサイトなどの情報網上に運転資金の応援の呼びかけをおこないました。

その呼びかけのなかには、同社が副業として製造している「ぬれ煎餅」を買って運転資金に協力してほしいというような呼びかけもありました。

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そんな呼びかけが、TV局などの目に留まり、各社が取り上げて放送をしてくれたのです。

その報道は爆発的な反響を産み、鉄道ファン、地元の高校生、各種サポーターの皆さんの協力も得て、あっという間に資金が集まり、廃線の危機を免れました。

その後、様々な企画を立ち上げて現在に至っていますが、かといって営業が飛躍的に向上しているわけではなく、依然と苦しい経営状況ではあるようです。

というわけで、電車に乗り、ぬれ煎餅などのお土産を購入し、などなど「銚子電鉄」を堪能したいと思ってはいたのですが、やっと今回それが実現できました。

「銚子電鉄」は、太平洋沿いの路線でありながら、車窓から海を見ることができません。当然、電車と海をワンショットに収めるのは一苦労。

事前に、「地球の丸く見える丘展望館」周辺の高台から撮影できることをリサーチしていたため、次のような撮影ができました。

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「銚子電鉄」は、基本的に「京王電鉄」から導入された車両を多く使っています。冒頭の緑色の車輛は、2000形、こちらは3000形です。

こんな林の中を走る風景は「銚子電鉄」そのものです。

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こちらは、3000形車両が終着駅である「外川駅」のホームに停車している風景です。

このホームの照明がかわいくて取り込んで撮影しました。

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外川駅の奥には、「デハ800形 801」が動態保存されています。活躍できる機会を与えてあげたいですね。

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2000形同士の上り下りの単線名物の車両交換です。入ってきたのは、以前の京王電鉄色バージョンです。

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この、「笠上黒生駅」では、全国的にも大変珍しい「タブレット」の交換風景が見られます。

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ホームの裏手の引き込み線に、思いがけず、NHK連続ドラマの「澪つくし号」「ユ100形」が有るのを見つけました。

既に解体されていたと思っていたのでちょっとサプライズでした。

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そんなこんなで、あっという間に1日が過ぎてしまい、陽も落ちてきたので宿に移動となりました。

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2日間撮影や乗車を楽しみ、帰りに「犬吠駅」の売店でいろいろな御土産を購入させていただきました。

犬吠駅の名物タイ焼き。以前は、観音駅の構内にもタイ焼き屋さんがあったようです。

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各地に出かけると、その土地の日本酒もお決まりで購入しています。まさに「銚子電鉄」の日本酒「でんでん酒」が売られていました。後日、思い出とともにおいしくいただいたことは言うまでもありません。

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頑張れ「銚子電鉄」 また会いに行きます。

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2018年8月 9日 (木)

秩父三十四観音巡り 「絶壁・天空」の法性寺 ②

クサリを支えに石壁を彫り込んだ階段を上っていくと、洞穴に数体の仏像が並んでいました。何百年もの昔から信心深い人が次々に寄進して、だんだんと増えていったんでしょうね。

「観音様へもう少し」と案内看板がありました。

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ここを登りあげ、やっと巨石の上にたどり着きました。冒頭でご紹介した「観音菩薩」がお迎えしてくれました。

周囲は秩父の山々が一望できる超絶景。天空に浮かぶ神々しい「聖観音」さまでした。

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それにしても、巨岩の上の足場はこちら。山登りしてきた汗が冷汗に代わりました。

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観音様の裏側は・・・。ぜ、絶壁です。遥か下に森が見えます。

安全対策の手摺りなんてありません。マジか

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しかし、こちらが最終地点ではありません。さらに上に「大日如来」さまが鎮座されています。上を目指します。

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「大日如来」さまの下まできました。この石壁を登って行かなければなりません。

怖すぎて、クサリに100%身を委ねられません。切れたら滑落です。

セオリーの3点確保で慎重に歩を進めます。

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今回の体験は、人生の中で一番命の危険を感じました。

写真はありませんが、最後は恐怖の絶壁のへりを上りやっと「大日如来」さまにお会いすることができました。

一坪ほどの広さしかないこちらの周囲は切り立った絶壁。

さすがに仏様の最高位である「如来」さま。二度と体験できないこの場所にはパワーが満ち満ちているオーラを感じました。

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後ずさりで岩場を慎重に降り、下山の途に就きました。

暑い暑い日でしたが、帰りの森がヒンヤリと心地よくおもえました。やっと本堂まで戻り、無事に戻れた感謝も含め、参拝させていただきました。

こちらの御本尊は、笠をかぶり船のろを持って漕ぐ珍しい御姿で有名です。

最後に、お決まりの御朱印をいただきました。

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そして、「大日如来」を参拝した人にだけいただける貴重な御朱印がこちらです。

「大日如来」の参拝を断念しなければならない人も少なくないと聞きます。

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観音霊場めぐりの世界を知らなければ、こんな場所や経験もできなかったでしょうね。感謝。

日本の奥深さを知る貴重な体験でした。

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2018年8月 8日 (水)

秩父三十四観音巡り 「絶壁・天空」の法性寺 ①

秩父三十四観音霊場 第三十二番 「般若山法性寺」 の紹介です。

その奥の院は、今まで訪れた観音霊場でも特筆の仰天スポットでした。

本堂の奥にそびえる長さ200mといわれる巨岩のヘサキに祀られたこちらの「お船観音」。

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さらにその船の一番高いところに如来様が鎮座しています。

船型の巨岩の両脇は切り立った超絶壁

ひとつ間違うと滑落必至 

危険度MAXなので、高所恐怖症の人や、山登りに慣れていない方にはお勧めできません。

ということで、内容満載なので、2回に分けて紹介することにしました。

こちらが当寺の楼門です。門の2階部分が鐘楼となっている珍しい造りです。

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門の両脇には仁王様が、そして門の中程に般若面が睨みを利かせています。

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楼門を抜けると整備された石段が本堂へと続いていました。

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あれ、予備知識とは違った整備された雰囲気に一安心。でも奥の院は、予備知識をはるかに超えた場所であることをこの時は知る由もありません。

本堂に到着しましたが、先に奥の院に参拝し、最後に改めて訪れることとしました。

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本堂を抜け、先に進みます。

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石段を登りきると、「観音堂」が現れました。

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御堂の奥の洞窟には、子授けのご利益があるといわれているお地蔵様が祀ってあります。

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この観音堂の横に巨岩が寄り添ったトンネルが有り、これから先はしばし山登りが続きます。

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途中に、岩場にはめ込まれた祠がありました。

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さらに山道を暫く進むと、いよいよ岩場が現れてきました。

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写真では解り辛いですが、結構な勾配です。鎖場も現れてきました。

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急こう配ながらなんとか登れる環境に少しホッとしましたが、この時は、この後の恐怖は想像できませんでした。

②につづく・・・

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2018年8月 7日 (火)

「日本百観音」巡礼の旅

全国各地への旅行先で神社仏閣を訪れることが好きな私は、いつからか「御朱印」も頂くことが慣例となっていました。

ある日、「四国八十八ヶ所霊場巡り」は知っていたものの、身近にも「全国百観音霊場巡り」があることを知りました。

「全国百観音」とは、関東地方の「坂東三十三観音」さらに埼玉県秩父市に集約された「秩父三十四観音」、そして関西地方の「西国三十三観音」の合計百寺院の観音霊場をまとめたものです。

今まで長い年月の間に訪れた寺院の御朱印の中にも、前記の「全国百観音」の寺院が含まれていたのです。そして、いろいろな御朱印帳にばらばらに頂いていたそれらの御朱印を専用の「納経帳」にまとめたいとの欲求に駆られてしまいました。

用意した「納経帳」がこちらの三冊です。この納経帳を手に入れてからしばらくの月日が経ちますが、重みが変わった気がします。自己満足なんでしょうけどね。

          「坂東三十三観音」納経帳

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          「秩父三十四観音」納経帳

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          「西国三十三観音」納経帳

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一年間ブログを休んでいたので、その間に訪れた寺院もたくさんあるのですが、機会あるごとに紹介していきたいと思います。

「全国百観音霊場巡り」の文化は、戦国時代以前の文献にも記録があるとのことで、古い歴史があるようです。江戸時代になると「旅」の文化が開花し、一層それに拍車をかけたんでしょうね。

秩父の観音霊場は、江戸時代には旅人への案内図まで発行されていたようで、今ではその江戸道の案内マップと道標をたどって遍路する方もいるようです。

四国には、八十八ヶ所巡りもありますし、一生終わりはなさそうです。

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2018年8月 6日 (月)

長野原線(現 吾妻線)の支線、太子線の太子駅を復元

戦時下において、鉄の増産が急務となっていた1945年に日本鋼管の専用線として長野原線/長野原駅(現 吾妻線/長野原草津口駅)の枝分かれ線として北へ6Kmほど先の太子(おおし)駅までの太子線が開業しました。

終戦後に国鉄に移管され、鉄鉱石運搬の貨物専用線から旅客用にも使用されるようになるも、非電化路線でもあり営業悪化で1971年に開業から26年ほどの短い運用で消滅してしまいました。

廃線の遺構があちこちに点在し、「廃線マニア」には有名な路線ですが、最終駅の「太子駅」が整備復元されたとのことで訪れてみました。

大井川鉄道から譲り受けた貨車が構内に止まっています。

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「太子駅」は、鉄鉱石の積込み駅ということで、貨車に積込む巨大なホッパーが駅構内に有ります。当時は、3階ほどの高さが有った模様ですが、現在は1層分だけが残っています。

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こちらは、当時の終点壁です。新たに線路が敷設され、車止標識が新しくはめ込まれました。

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駅舎も復元され、現在は展示室として利用されています。

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施設に入ると当時の営業最終日である「45年10月31日」の切符が印刷された入場券に改札鋏を入れてくれます。

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現在、当時使用されていた同型の蒸気機関車をJRから譲り受ける交渉を進めているとのことですので、楽しみに待つことにしましょう。

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2018年8月 4日 (土)

八ッ場ダムの「吾妻線」廃線区間が復活 !!

八ッ場ダム建設に伴い、2014年にJR吾妻線の一部区間がルート変更となり廃線となってしまいました。

しかし、今年の6月に廃線区間の鉄路が、2020年に自転車型トロッコで周遊できる施設として復活すると発表されました。

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こちらは、試乗した時の写真です。(左側が私、右側が東吾妻町役場の方です。)

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この日は、熱い日差しが降り注いでいましたが、電動アシスト付きの自転車なのでスイスイ。頬に当たる風も気持ちよく、、吾妻線の運転手目線での景色が想像以上に新鮮でした。

試乗は800メートルの区間でしたが、自転車のタイヤで鉄の車輪を駆動させているため、線路の継ぎ目の度に「カタン、カタン」と音と振動を感じられ、楽しく試乗できました。

トンネルや鉄橋も安全保護対策を講じて3Kmほどの施設として運用を開始するとのことでした。

施設の開始が楽しみですね。

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