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2017年4月20日 (木)

諏訪大社四社まいり/④上社本宮

諏訪大社は歴史を大きく変えることとなった場所として有名です。

戦国時代、諏訪信仰のあった武田氏は、おのずと諏訪氏とは仲良くしていたのですが、「軍神」「戦神」である諏訪大社(現在は、生命・生活の源の守護神)を仕切る諏訪氏の領地が欲しくなってしまいました。結果、後に諏訪氏を滅ぼすこととなります。

その後に、武田に戦いを挑んだ織田の軍勢により「諏訪大社本宮」は焼き討ちにされ、焼失してしまいます。1582年の出来事でした。

「本宮」の隣には「法華寺」がありますが、昔は神仏習合が当たり前だったため、「法華寺」の守り神として同じ境内の寺と神社という関係でした。

歴史好きの方なら有名な「法華寺」ですが、武田・真田・織田等々色々な武将が出入りし、ターニングポイントとなっています。

中でもこの寺で明智光秀が織田信長から激しく罵倒されたことが「本能寺の変」のきっかけとなったとされています。

さて、前置きが長くなってしまいましたが、いずれにしても「諏訪大社」は昔から一目置かれていた神社だったということですね。

それでは「上社本宮」を訪れてみましょう。まず、北参道側の鳥居から入りました。

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参道を進むと一番柱が目の前に現れます。

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このまま拝殿に入らずに、左折して東表参道方向へと境内を散策します。

参道(入口)が二つ有ることや、拝殿の向きや場所が焼失や時代背景によって変わった理由は諸説ありますがよく解りません。ただ1つ、現在の拝殿の後方背後方向には諏訪大社の起源とされる「前宮」が有るというのはその向きにした理由に合点がいきました。

境内途中、「神楽殿」を見ることができます。中には巨大な大太鼓が新旧二台奉納されていて、一枚皮の大太鼓では日本一の大きさだそうです。下世話な話ですが、豪邸が一軒建つ値段だそうです。 お正月の早朝のみ打ち鳴らされるそうです。

「神楽殿」を背にして前方が拝殿になっていて、右に一番柱、左に二番柱が昔から建てられているところを推測すると、この位置が正式な正面のようです。

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東参道に着き、鳥居を出て改めて入り直しました。現在は、屋根付きの参道(布橋)が造られているため、こちらが表参道と言われています。

「御柱」もこの太鼓橋と鳥居をくぐって境内へと曳き込まれていきます。御柱から突き出た「めどでこ」を鳥居ぎりぎりにかわして曳き入れるところも見どころだとか。

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長~い屋根付きの参道である「布橋」の入り口「布橋門」です。

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立派な彫物が施されていますね。

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「布橋」を外から見てみました。

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「布橋」途中に新旧の「宝殿」があります。

元来「式年遷宮」はこちらの「宝殿」の建替が正式な儀式なのですが、「御柱」の建替えのほうが話題となってしまったため、こちらの儀式はひっそりとおこなわれています。

今回は写真に写っている宝殿が建替えられました。

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左右の「宝殿」の中央背面には元来の参拝のための階段が設けられています。現在は解放されていません。正面に見えるのが先ほどの「神楽殿」です。

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境内を逆Sの字に進み、「参拝所」までやってきました。

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諏訪大社の神紋は、「梶の葉」ですが、下社は根が五本、上社はご覧のとおり四本となっています。

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四社目となった「本宮」に最後の参拝を済ませ、「諏訪大社四社まいり」が完成しました。

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次回は、御朱印や「諏訪大社四社まいり」をした人にだけに諏訪大社から贈られる「御神供」などを紹介します。

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