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2016年11月

2016年11月27日 (日)

真田の酒 / 32 大阪夏の陣「道明寺合戦」

戦国時代から江戸時代にかけての最大の戦(いくさ)である「大阪の陣」。

冬の陣では東西合わせて30万人、夏の陣でも22万人もの兵が一つの戦いで参戦しています。人数だけみても地獄絵図であったことは想像に難くありません。

真田丸も最終章を迎え、「浅間通信員」の「真田シリーズ」もそろそろ終わりとなります。

そこで今回は大阪府藤井寺市の酒蔵やワイナリーで販売されたお酒を紹介します。

その名も「道明寺合戦」。戦国の時代に終止符を打った真田軍と伊達軍の大戦(おおいくさ)です。

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ラベルのデザインは、「岸和田だんじり祭」の山車(だし)に大阪の陣の彫刻が精巧にあしらわれているものを一部ピックアップしてデザインしています。今でも大阪の人々の魂に合戦の心意気が宿っていることをうかがわせます。

口あたりの丸い呑み口優しと思いきや、辛みもそしてわずかな苦みもしっかりと口に残るお酒でした。心優しくも決めるときは決める幸村の酒ですね。

真田幸村はこの戦が最期と悟り、なんと敵方伊達軍の重鎮である片倉小十郎重長に自分の娘(阿梅)をかくまってくれと申し入れます。

敵であっても「日の本一の兵」の願い。片倉は申し入れを受けてくれました。

大阪城から阿梅をかくまってくれた事を確認し、翌日幸村は討死してしまいます。

自分は討死しても子供だけは助けたい。いつの世も子供を思う気持ちは同じですね。

真田氏の歴史を知れば知るほど切なさだけが増してくるのは私だけでしょうか。

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2016年11月25日 (金)

真田氏ゆかりの寺 亀井山「東源寺」/沼田市

今回の寺は、真田信之と小松姫との間に次男として生まれた、真田信政の側室であった「浜松の局」の墓所がある「東源寺」です。

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今でいう隠居の住まいとしてこの寺に入りましたが、入山間もなくの3年後に亡くなっています。

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真田氏の多くの寺は曹洞宗なのですが、「浜松の局」が入ったこの寺は浄土宗です。この寺は、「小松姫」の墓所として有名な正覚寺の第六世・鉄山和尚の隠居寺として開山したため、正覚寺と同じ宗派である浄土宗ということのようです。

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「小松姫」の墓所正覚寺は葵の紋ですが、こちらは真田の六文銭が掲げられていました。「浜松の局」が入山する折、真田氏の資金によって大規模な改修がされたためと推察されます。

現在は、屋根の造りも当時の面影を残す様相とは変わってしまいましたが、真田氏の寺であるとの風格は今も忘れられていません。

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本堂の右隣には、稲荷が祀られていました。寺の境内に神社を祀っている所は「真田氏の寺」では珍しくありませんが、神仏分離の時代をどのように乗り越えてきたんでしょうかね。

この稲荷は、絹の産地である群馬県らしく、蚕にご利益があるということで知られ、ここをお参りすると質のいい繭が沢山採れたということです。

祠の中にはおびただしい数の狐がびっしりと祀られていました。

お稲荷さんは、農工商の守り神ということで、蚕を中心とした城下沼田の発展のために祀ったのでしようね。

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夫の真田信政は、兄の信吉とともに大阪の陣で徳川方として戦っていますが、兄弟の隊は豊臣方との戦いで苦戦をし退陣しています。

「浜松の局」の亡くなった翌年に父真田信之の跡を継いで松代の藩主となりましたが、わずか2年後に「浜松の局」の後を追うように亡くなりました。

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2016年11月21日 (月)

真田の酒 / 31 「怒武八」 千曲錦酒造

今回は、珍しく濁り酒です。ラベルには「純米にごり酒」と書かれていました。

「松代 真田十万石 幻の酒」との添え書きがありますが、大河ドラマ「真田丸」の中で真田の面々が呑んでいたのは殆どが濁り酒(どぶろく)でしたね。

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この澄んだ瓶を振るとご覧のような見事な濁り酒の様相になります。

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さっそく頂いてみましょう。

おっと、なんというトロ味。予想以上のドロドロ状態に一瞬たじろぎました。

なるほど、「どぶ六」ではなく、「どぶ八」の訳ですね。

第一印象は、「濃い 」といったところでしょうか。日本酒を飲みなれていない人にはキツイかもしれませんね。

エグミの無い素直な呑み口なのですが、前記のような感覚が払拭できないため一般的な日本酒と同じ量はとても頂けそうにありません。

今回購入した300mℓの小瓶が丁度良かったようでした。

非常に好き嫌いが分れる部類のお酒ですね。

     

次はおまけです。

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キリンの「一番搾り」に、岡崎酒造のワンカップ酒「亀齢」です。

電車でお出かけの方は車中でどうぞ。

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2016年11月20日 (日)

真田氏ゆかりの神社 榛名神社/沼田市

ちょっと忙しさに感けて、久々の更新となってしまいました。

今回は真田昌幸が沼田城主時代に、城下の鎮守を改築したといわれている榛名大権現(現 榛名神社)を紹介します。

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改築の年が1615年。そう、大阪夏の陣の年ということで、どんな心づもりがあったのでしようか。真相が知りたくなりますよねー。

鳥居を潜り、手水舎で清めて拝殿までやってきました。

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本殿の御扉の上には、六文銭が描かれています。

「御扉(みとびら)」で、神社の祭事に参加した時のことを思い出してしまいました。宮司が開扉する際は、我々は頭を下げているのでその様子を見ることができません。「ぎぎ~、きき~」というような音がして、今開いたんだなと察しがつくのですが、祭事の後で知らない人が「立て付けの悪い扉だねー」などと言っていました。しかし、その人は真実を知って恥をかいていました。御扉は開扉の際に音が出るように造られていて、音のしない御扉は失格なのです。とは言っても私も若い時は知りませんでしたがね。

さて、本題に戻りましょう。

榛名神社を参拝すると、御扉の上に六文銭が描かれているため、真田氏にも手を合わせるという具合のようです。

六文銭は、鳳凰と天女に包まれて守られています。私は、昌幸が弟の信繁を密かに祀ったと思っています。(あくまで個人の推測です。)

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参拝を済ませ、本殿の彫り物を見に脇に回ります。

本殿が見えてきました。江戸時代の名工、左甚五郎の若い時の彫刻といわれています。

紅葉を待って、この絵を撮りに来たかいがありました。

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本殿の.三方をぐるりと彫刻が施されていました。
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榛名大権現の改築が終わって間もなく、昌幸は松本城が本拠地となってしまいました。

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2016年11月11日 (金)

真田の酒 / 30 「幸村出陣」 高垣酒造

いよいよ「真田丸」も大阪の陣のクライマックスに差し掛かるということで「幸村出陣」を紹介することにしました。

大阪夏の陣から400年目を記念して限定酒として発売されたものです。

なんと、9社の酒蔵が同一ラベルにて販売しているということで9通りの味が楽しめるということですね。

(世界統一・田端酒造・名手酒造店・中野BC・平和酒造・初光酒造・初桜酒造・尾崎酒造・高垣酒造)

今回は、和歌山県有田川町に酒蔵を構える「高垣酒造」の「幸村出陣」です。

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背景は赤備えの真っ赤。そして十文字槍を右腕に抱え、左手で馬の手綱を引いた勇壮なデザインです。

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1口含むと甘口かなと思うほど優しい口当たりでしたが、呑み進むにつれて段々と辛みが感じられるようになり不思議な感じでした。

それぞれの旨みや味のバランスが良く、呑みやすい純米酒でした。

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2016年11月10日 (木)

真田氏ゆかりの寺 證誠山善正院「西蓮寺」/長和町

前回は、長久保本陣に嫁いだ信繁の娘「すえ」を紹介しました。

信繁の死後この長久保本陣に嫁いだ娘が信繁の子だということが徳川に分かり、石合十蔵道定の一家は窮地に立たされたということでしたが、別段のおとがめはなかったということです。

君主のために散って行った「日の本一の兵」に敬意を表した計らいであり、娘の命までも取らなかったということで、徳川も人の子だったということですね。

さて、こちらが石合家の菩提寺である長和町(旧 長門町)にある「西蓮寺」です。

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山門の袖は、最近修理されたようですね。

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山門を抜けると、立派な鐘楼が建っていました。

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このお寺の創建は古く、長野善光寺のご本尊を運ぶ際にこの場所で一泊したということでその場所に祠を造ったのが始まりといわれているそうです。

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古い墓石群の中に石合家の先祖からのお墓があります。

「すえ」は、父信繁の心配もよそに長久保宿で天寿を全うし、石合家の墓地に眠っています。

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墓石が風化しているため、戒名が読み取れず「すえ」の墓石はわかりませんでした。

大阪夏の陣で息絶えた信繁の末期(まつご)の脳裏に娘「すえ」の面影は浮かんだのでしょうか。戦国の世の真田家に生まれてしまった「信繁」の気持ちは平和な世に暮らす我々には計り知れません。

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2016年11月 4日 (金)

真田の酒 / 29 「真田三代 梅酒」 信州銘醸

今回の「真田の酒」は、梅酒です。

一般的に梅酒は焼酎漬けが多いのですが、この梅酒は、なんと日本酒漬けなのです。

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なんというレアな梅酒でしょうか。でも、製造蔵が「.信州銘醸」ということで納得です。

日本酒ということで、焼酎に比べてアルコール度が低いので原酒のままいただくのがいいかもしれません。もっとも、日本酒の水割りってないですよね。

でも、最近は、ロックで飲まれる人もいるようですけど。

まったりとした梅酒独特の甘みと梅の酸味、そして日本酒の風味。

日本酒の梅酒漬けもアリですね。でも、日本酒はちょっと・・・。という人にはキツイのかな?

日本酒より効く感じはします。さすがに私も1日にお猪口に1杯ずつだけにしています。

おかげで、なかなか減っていきません。

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2016年11月 1日 (火)

真田氏ゆかりの建物 長窪本陣/小県郡長和町

今回は、中山道の江戸から数えて27番目の宿場である長久保(長窪)宿の紹介です。

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この宿場町には、真田信繁と梅(大河ドラマ真田丸での名)との間に生まれた「すへ(すえ)」(おきく)が嫁いだ長久保本陣の石合家があります。

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現在、建物は民家となっているため、内覧はできません。

(次の写真のみ資料館提供によるものです。)

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この長久保本陣のすぐ隣には「高札場」があり、由緒ある大きな宿場町であったことが想像できます。

(「高札場」とは、幕府や藩主が取り決めたことなどを告知する掲示板のことです。)

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父信繁は、大阪夏の陣が迫ったころ、娘すえを案じて夫である石合十蔵道定宛に手紙を書いています。

文面の一部に「意に沿わぬことがあったとしても、すえのことをお見捨てなきようお頼み申します。」と言うような内容が書かれています。

父信繁は、この手紙が最後になってしまうかもしれないと思う覚悟からか、後に残す娘を案じている思いが伝わり、切なささえ覚えます。

すえは、長久保本陣の4代目当主である石合十蔵の元で天寿を全うしています。

次回はすえのお墓のある寺を紹介します。

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