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2016年9月

2016年9月23日 (金)

真田氏ゆかりの寺 象山「恵明寺」/松代町

「恵明寺」は、以前紹介した「竹山随護稲荷神社」が当初祀られていたお寺です。

本山は京都宇治市の「萬福寺」で、本山が開基してまもなく松代の地に末寺として分院されました。

佐久間象山の生家はこの寺の近くで、「恵明寺」の山号を名前に取ったそうです。

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山門には六文銭の幕が掲げられていて、真田の寺であることが一目でわかります。

本堂は火災に見舞われているため、山門のみが当時の建物となっています。

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この寺を開基した真田幸道の正室である豊姫は伊達家の出で、嫁入りのときにアンズの種を持参し、それが松代の名産となり「あんずの里」と言われるようになったということです。

豊姫の墓もこのお寺に設けられています。

「萬福寺」の末寺ということで、布袋さんが本堂の前でお出迎えしてくれました。

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裏手からの本堂です。「真田の寺」ではお馴染みとなった鯱です。
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本堂と同じ火灯窓(源氏窓)のデザインが施された鐘楼です。
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2016年9月22日 (木)

真田の酒 / 21「真田十万石」 松代宮坂酒造店

今回は、2016年モンドセレクションの金賞受賞酒「真田十万石」です。

醸造酒蔵は、前回の「松代城」と同じ「千曲錦酒造」です。

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「松代城」は辛口というフレコミでしたが、今回「真田十万石」をいただいてみて、あーやっぱり「松代城」は辛口だったんだなーと、改めて思うほどこちらの「真田十万石」は口当たりまろやかな味わいでした。とげとげしくなく、すっと喉を通り過ぎてくれます。さすが金賞。

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「松代城」・「真田十万石」共に本醸造酒ですが、「真田十万石」は、特別本醸造ということで若干仕込みが違うようです。

精米歩合も「真田十万石」の方が5%程ですが磨きが多いようです。僅かなさじ加減で微妙に味が変わってくるんですね。

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2016年9月20日 (火)

真田氏ゆかりの神社 竹山随護稲荷神社/松代町

この「竹山随護稲荷神社」は、信之・信繁の兄弟である真田昌親の子供の真田信親が、江戸今井(赤坂)の屋敷内に鎮守として祀られていた神社でした。

当時、江戸城桜田門の南西に位置する外堀の外側を取り巻いていた御屋敷群の中にあり、井伊・松平・細川家が回りに連なっていました。

現在の「竹山随護稲荷神社」を訪れると、川の畔から山の中腹の神殿まで数えきれないほどの沢山の鳥居が連なって並んでいました。

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稲荷の使いである狛狐が現れました。そういえば、こちらの神社はお稲荷さんだったですね。

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見上げると神殿が中腹に見えてきました。

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神殿を横目に見ながら鳥居を次々と潜っていきます。

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神殿まで上がってきました。数えきれないほどの寄進者の御札が壁一面に掲げられていました。

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こちらの神社は、江戸屋敷に在ったものを第3代 松代城主真田幸道によって松代城に遷座させましたが、ほどなく真田幸道は松代の南に恵明寺を開基すると、その境内に移しました。

その後、明治時代に神仏分離令が出されると、この「竹山随護稲荷神社」は、恵明寺から少し離れた場所に移設され、現在に至っています。

 ※ 恵明寺は次回紹介します。

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2016年9月16日 (金)

真田の酒 / ⑳「松代城」 松代宮坂酒造店

「真田の酒」では初登場の松代町の松代宮坂酒造店です。

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松代城下の酒屋さんということもあり、「真田十万石」や「松代城」など、その名もズバリの銘柄を販売していることでも有名です。

今回は、真田の城である「松代城」から紹介します。醸造蔵元は、長野県では有名な千曲錦酒造です。

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「本醸造の辛口」ということで、心していただいてみました。が・・・。

あれ、ガツンとくる辛口ではありません。

なんと甘み・酸味・辛味そしてコクとバランスのいい私好みの美味しいお酒でした。その辛味は、呑み終わった後で僅かに舌に残る程度でした。この位の辛味が残るくらいが日本酒は美味しいですね。

真田の代になって「松代城」となりましたが、かつて武田領地だったころは「海津城」でした。

「海津城」の桜が綺麗で有名なため、「海津桜」という銘柄もあります。

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2016年9月15日 (木)

真田氏ゆかりの寺 照光山「乾徳寺」/松代町

この寺は、真田信之の次男である信政が沼田城在城時に、自身の次男である信守を若くして亡くし、沼田の地に「照光寺」を建立したのが始まりです。信守は、お家騒動の末に自害して亡くなっていますが、城内の大騒動に一時沼田城下が騒然としたとか。

寺を建立した真田信政は、大坂の陣の際、父信之が病気で出陣できなかったため、父の名代として17歳という若さで兄信吉と共に参戦したのは有名な話ですね。

その後、松代へ移封となったため、寺も「雲龍山照光寺」として松代に移設しましたが、初代の僧侶が亡くなって以降は廃寺同然となっていたそうです。

そのままに放置された寺でしたが、松代第四代藩主の信弘が亡くなった時に「長国寺」の僧侶が信弘を祀るために古い寺を解体し、改めて「照光山 乾徳寺」として再建しました。

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本堂の西側一角に、真田家の墓所が有ります。

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その墓所から見た本堂側面です。茅葺だった当時の姿が見たかったですね。

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山門は辛うじて当時の瓦葺のままのようでした。

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訪れた時は、まだ夏の暑い日差しが落ちていました。

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2016年9月13日 (火)

真田の酒 / ⑲「真田三代」 沓掛酒造

以前、「真田三代 呑み比べ」で紹介した沓掛酒造の再登場です。

前回の「真田三代」は本醸造酒でしたが、今回は特別純米酒です。ラベルも以前の物とは違っています。

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以前の「真田三代」は、本醸造で精米歩合が65%、そして醸造アルコールが添加されています。今回は精米歩合が60%、そして純米酒なので醸造アルコール無しの生一本です。

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口当たりまろやかでコクのある味わいは、冷やすと更にスッキリと清涼感も増して美味しいお酒でした。

「真田三代」と名の付くお酒は各社でいろいろと醸造されています。日本酒に限らず焼酎も販売されていますので随時紹介していきます。

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2016年9月12日 (月)

真田氏ゆかりの建物 真田邸②/長野市松代町

前回の真田邸①では外観を紹介しましたが、今回は室内です。

玄関を入っていくと長い廊下が奥へと続いていました。

この赤い敷物(OIC)は、内覧用の養生で、本来は「畳廊下」です。

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いわゆる縁側が部屋を取り巻いています。これだけの建物の雨戸の開け立てだけでも一仕事ですね。

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照明が無かった時代の読み書きは大変だったでしょうね。

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雄床、雌床に違い棚と天袋。典型的な日本家屋様式ですね。

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こちらの部屋は、なんと今でいうクロス仕上げ。意外とモダンな様式を取り入れていてビックリです。

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長押(なげし)にはお洒落な釘隠しが使われていました。こちらは縁起物の巾着袋のデザインです。この建物にはほかのデザインの物も使われていました。

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世界的に人気急上昇の「日本庭園」。手入れが行き届いていました。流石、国の重要文化財に指定されているだけの値打ちがあります。

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外側(庭)からは立入規制がされているため、一部分しか撮影できませんでした。

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何棟もの蔵が並んでいました。

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豪華絢爛の御屋敷ではありませんが、「真田家」のつつましやかな家風のなかにあって格式も感じることができます。

戦いで亡くなった住民のために、寺には多額の寄進をおこない、不作の年の年貢を半分にするなど住民に寄り添い苦しめることはなかったということです。

たった「10万石」だった訳は、真田を知れば知るほど納得です。

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2016年9月10日 (土)

真田氏ゆかりの建物 真田邸①/長野市松代町

この建物は松代藩9代藩主の真田幸教が、母の貞松院のために造った松代城の城外御殿です。

何故、母親の御殿を城外に造ったのでしようか?。

実は父の真田幸良は、その更に父である松代藩8代藩主の真田幸貫より先に亡くなってしまったため、真田幸良の長男である真田幸教が家督を継ぎ、第9代の藩主となってしまいました。

当然、藩主の妻となるはずだった母親の貞松院は、夫が藩主になる前に亡くなってしまい取り残されてしまったため、子の真田幸教が母のために城外に御殿を造ったということのようです。

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内側から撮影した門です。冠木門ですね。

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かなり大きな建物ですが、家を取り巻く塀を見ただけでその規模の想像がつきます。

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こちらが建物の図面ですがいくつ部屋があるのか数えられないほどです。

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写真が多くなったため、建物の中は次回紹介します。

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2016年9月 4日 (日)

真田の酒 / ⑱六文銭 冷酒2種

六文銭の清酒で有名な「山三酒造」の冷酒2種類の紹介です。

1本目は、左側の六文銭本醸造の生貯蔵酒です。

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最近味わったことのない酸味のある口当たりでした。麹香が少し残っている感じです。人によってはフルーティーな味わいなんて表現をするかもしれません。

久々に想像を裏切られた味でビックリでした。

2本目は、右側の六文銭大吟醸の生酒です。

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こちらも、基本的に1本目の本醸造に似ているのですが、大吟醸仕込みということだけあり、スッキリ感が増しています。

2本目は、サラッとしすぎなので、個人的には1本目の方が好みでした。

「真田丸」を観ながら六文銭の家紋が入った冷酒グラスで六文銭の冷酒をいただく。贅沢な時間ですなー。

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2016年9月 1日 (木)

真田氏ゆかりの地 / 犬伏の別れ 「新町薬師堂」

NHKの大河ドラマ「真田丸」もいよいよ「犬伏の別れ」のくだりへと物語が進んできました。

事は徳川家康に反旗をひるがえした上杉景勝の会津征伐に始まります。

関東一円の諸大名に会津征伐の出陣令が下り、当時徳川に付いていた真田軍も一端上田城・沼田城に帰って軍をまとめ、徳川軍に合流すべく下野に向かいました。

上田城から出陣した真田昌幸・信繁の軍勢は、先行する沼田城からも出陣した信幸の軍勢と合流するべく急ぎました。既に江戸城を出陣し、先発していた徳川軍にもう少しで追い着くというところで日も落ち、例幣使街道の犬伏で宿をとることとなりました。

宿とした犬伏の大庵寺に到着すると、石田三成からの密使が昌幸の元へ到着しました。なんと、徳川家康が大阪城を留守にした隙に徳川家康を討ち取るために挙兵したということでした。

真田昌幸に届いた密書の内容は、徳川家康を討ち取るべく旗揚げしたので我が石田三成軍に加勢してもらいたいというものでした。

困ってしまった真田昌幸は、先行していた信之に使者を出して呼び寄せると真田昌幸・信幸・信繁の親子3人で身の振りの密会をおこないました。

極秘の密会を開くため、大庵寺のすぐ近くに在ったお堂を選びました。それが今回紹介する「新町薬師堂」です。

「新町薬師堂」は、「例幣使街道」現在の75号線沿いの「米山古墳」の裾に在りました。

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ここで、真田氏の歴史上でのターニングポイントとなった重大な決断がおこなわれました。俗にいうあの有名すぎる「犬伏の別れ」ですね。

指定駐車場に車を停め、早々お堂に上がってみました。

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お参りを済ませ、ふと横を見ると新町薬師堂の薬師さんの「御姿」が箱に入っていました。「御姿」を希望の方は、100円を賽銭箱に入れてくださいということで早速頂くことにしました。こちらが「御姿」です。

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この薬師堂の中で親子3人が朝方まで激論したということなんですね。感無量です。

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お堂の中を見てみました。12畳ほどの広さがありました。

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そして、こちらは有名な「犬伏 新町薬師堂 密談図」です。「上田市立博物館」所蔵ですが、現在各地の「真田展」で特別展示されているため、当の博物館は複製が掲げられています。

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激論の末、父昌幸と次男の信繁は石田三成の西軍に、そして真田家の嫡男(長男)である信幸は徳川家康方の東軍に付いて敵同士として戦うこととなりました。

信幸は、徳川家康の養子となった本多忠勝の娘である小松姫との婚姻関係があるため、徳川家康を敵にすることはできませんでした。そこで、昌幸はどっちが勝っても負けても真田家の血縁を絶たぬようにと双方に分かれる苦渋の選択をしました。

この時点で、実質的に親子兄弟が最後の別れをするという究極の状態となってしまいます。

大河ドラマ「真田丸」の大事な山場です。どんな演出となるのか今から楽しみです。

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