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2016年8月30日 (火)

真田氏ゆかりの寺 法性山「龍昌院」/上田市

今回の「真田氏ゆかりの寺」は、千曲川の西側に在る法性山「龍昌院」を紹介します。

その昔、信濃小県(長野県上田市)の国衆の勢力分布は、千曲川を挟んで東側が真田氏、西側の一部が室賀氏の領地でした。

今回の「龍昌院」は、以前室賀氏の領地だった地域の南に建立されています。「真田氏ゆかりの寺」は、今まで紹介したその殆どが千曲川の東でしたが、この地域の寺は珍しい存在です。高台の広大な敷地に建立された建物。この建物にどんな意味合いがあったのでしようか。

戦国時代、真田氏が勢力を増す中、遂に室賀氏の領地も真田氏に取り込まれようとしていました。その事を不服に思っていた室賀氏は、徳川家康に直訴すると、真田昌幸を殺してしまえとの返答でした。

徳川家康にとって信濃の真田氏は「目の上のたんこぶ」だったため、室賀氏との争いをこれ幸いと思ったに違いありません。策略が成功した暁には小県の領地は室賀氏のものとするとの約束に踊らされ、騙された感が否めません。

上田城の真田昌幸に相談があると訪れた室賀正武でしたが、真田氏の諜報能力が遥かに勝っており、既に昌幸には室賀正武の目的が解っていました。

結局、上田城を訪れた室賀正武は真田昌幸の家臣に城内で殺されてしまいます。戦国の時代、自分の領地を必死で守ろうとしていた室賀正武でしたが、これは徳川家康に振り回され殺されたといっても過言ではありません。

前置きはさておいて、法性山「龍昌院」を紹介しましょう。真新しい六地蔵が迎えてくれました。

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参道を進むと、真田信之ゆかりの寺である旨の石碑がありました。

奇しくも1615年大阪夏の陣の年の建立というのが因縁深さをうかがわせます。信之は、真田家と縁のある別所温泉の安楽寺の僧侶をこの寺に招き入れました。

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境内のあちこちにサルスベリの花が満開でした。

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本堂までやってきました。創建当時は茅葺屋根だったようです。茅葺のままの維持は現在では難しいですね。

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本堂の裏手の塩田平が一望できる高台には信之の墓があります。信之の墓は、長野市の長国寺、大鋒寺、高野山の蓮華定院、東京港区の曹渓寺などに有りますが、この寺にも有りました。

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近年新しく整備されたお墓です。

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墓からは塩田平が一望できます。正面の山には、かつて真田が攻め落とした「塩田城」がありました。

廃城となった城下の塩田平は、「龍昌院」が建立後に見下ろすこととなります。

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信州信濃という名は、真田家の宗派である曹洞宗(禅宗)の僧侶が呼び始めた名称だと聞いたことがあります。真田家では、名前に「信」を多用しています。正に「信」の「州(くに)」なのです。しかし、真田家は実質「大阪夏の陣」で途絶えてしまいました。

大坂夏の陣で討ち死にしてしまった真田ですが、徳川家康方の信之は真田の姓を継いで生き残ることができました。このころに真田信幸は、真田家で代々受け継いだ「幸」を捨て、「之」に替えたと言われています。

徳川の配下となった真田の地。そして、室賀氏の里を背にし、その名も「寺」ではなく「院」とし、広大な土地にこの寺を建立した徳川家の目論見が見え隠れしてなりませんでした。

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