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2016年8月18日 (木)

真田氏ゆかりの地 / 第二次上田合戦 染屋台

今回は、第二次上田合戦の折、上田城を攻めるために徳川秀忠が前線基地とした地、「染谷台」を紹介します。

上田国分寺において真田昌幸に上田城を明け渡すと騙されて一杯喰わされた徳川秀忠は、小諸城を出発すると国分寺の先にある上田城を見渡せる染屋台に着陣しました。

徳川秀忠が着陣した染屋台地の「染屋城」は、真田が上田城の東方面の警護をしていた場所でした。その近くからの現在の上田城方面の見晴らしです。

当時は建物が殆ど無く、動きは手に取るようにわかったと思われます。

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現在、城跡は「豊染英神社」の境内となっていますが、城の面影は殆どありません。

こちらが、その「豊染英神社」です。

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そして、その神社裏手の染屋台地には、四万近くの徳川軍の兵隊が台地を埋め尽くしました。

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この染屋台地の一番南方向には「諏訪宮」が有り、南方の見張りを固めたようです。

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しかし、真田は東にある「虚空蔵山」(伊勢崎城)に騎馬隊を伏兵させていました。

山の向こう側が染屋台地と上田城方向です。左は、上信越自動車道です。戦国の武士たちはこんな時代になるとは想像も出来なかったでしょうね。

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こちらは、反対側の染屋台方向から見た景色です。上信越自動車道が「虚空蔵山」を巻き込むように走っています。

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「虚空蔵山」方面から見た上田城の様子。

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「上田城」に攻め込んで手薄となった「染屋城」の徳川秀忠の本陣を「虚空蔵山」に潜んでいた真田の騎馬隊が攻め込むと徳川陣営は右往左往の大混乱に陥り、統制の取れない状態になったということです。

徳川秀忠の率いる大群は、真田の戦略に振り回されまんまと策略にハマってしまい時間を費やしてしまいました。

その結果真田昌幸は、徳川秀忠の4万近い大軍団を関ヶ原の戦いに参戦できない足止めに成功してしまいます

徳川4万弱、真田2000という20分の1の弱小兵力での成せる業ではありませんね。肝が据わっているというか、軍旗として掲げている六文銭の決死の覚悟なのか。その常識破りの行動を読めないところが戦闘知力なのでしょうか。流石に戦国の世に「真田」有りの名を残すだけのことはありますね。

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