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2016年8月

2016年8月31日 (水)

真田の酒 / ⑰真田城

今回は「真田城」です。以前お土産用に3本をセットしたものを紹介した中に「真田城」が入っていたのですが、改めて紹介します。

「真田の酒」ではお馴染みとなった「信州銘醸」の本醸造酒です。左がお土産3本セットの中の300mℓ詰、右は720mℓ詰です。

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720mℓ詰の金文字のラベルが素敵ですね。真田城ということは「真田本城」を指しているんでしようかね。

さー頂いてみましょう。

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口当たりまろやかな呑みやすいお酒でした。まず、300mℓ詰からいただいたのですが、こちらは夏前に購入したものだったので、出来すぎたのかもしれません。結果オーライですが、真相はわかりません。

ひと夏経過してるので「ひやおろし」と思っていただくと一層美味しいような気がしました。

たぶん、出荷前に加熱処理しているので本来の冷やで卸したものとは別物なんですけどね。そこは気の持ちようということで・・・。

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2016年8月30日 (火)

真田氏ゆかりの寺 法性山「龍昌院」/上田市

今回の「真田氏ゆかりの寺」は、千曲川の西側に在る法性山「龍昌院」を紹介します。

その昔、信濃小県(長野県上田市)の国衆の勢力分布は、千曲川を挟んで東側が真田氏、西側の一部が室賀氏の領地でした。

今回の「龍昌院」は、以前室賀氏の領地だった地域の南に建立されています。「真田氏ゆかりの寺」は、今まで紹介したその殆どが千曲川の東でしたが、この地域の寺は珍しい存在です。高台の広大な敷地に建立された建物。この建物にどんな意味合いがあったのでしようか。

戦国時代、真田氏が勢力を増す中、遂に室賀氏の領地も真田氏に取り込まれようとしていました。その事を不服に思っていた室賀氏は、徳川家康に直訴すると、真田昌幸を殺してしまえとの返答でした。

徳川家康にとって信濃の真田氏は「目の上のたんこぶ」だったため、室賀氏との争いをこれ幸いと思ったに違いありません。策略が成功した暁には小県の領地は室賀氏のものとするとの約束に踊らされ、騙された感が否めません。

上田城の真田昌幸に相談があると訪れた室賀正武でしたが、真田氏の諜報能力が遥かに勝っており、既に昌幸には室賀正武の目的が解っていました。

結局、上田城を訪れた室賀正武は真田昌幸の家臣に城内で殺されてしまいます。戦国の時代、自分の領地を必死で守ろうとしていた室賀正武でしたが、これは徳川家康に振り回され殺されたといっても過言ではありません。

前置きはさておいて、法性山「龍昌院」を紹介しましょう。真新しい六地蔵が迎えてくれました。

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参道を進むと、真田信之ゆかりの寺である旨の石碑がありました。

奇しくも1615年大阪夏の陣の年の建立というのが因縁深さをうかがわせます。信之は、真田家と縁のある別所温泉の安楽寺の僧侶をこの寺に招き入れました。

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境内のあちこちにサルスベリの花が満開でした。

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本堂までやってきました。創建当時は茅葺屋根だったようです。茅葺のままの維持は現在では難しいですね。

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本堂の裏手の塩田平が一望できる高台には信之の墓があります。信之の墓は、長野市の長国寺、大鋒寺、高野山の蓮華定院、東京港区の曹渓寺などに有りますが、この寺にも有りました。

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近年新しく整備されたお墓です。

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墓からは塩田平が一望できます。正面の山には、かつて真田が攻め落とした「塩田城」がありました。

廃城となった城下の塩田平は、「龍昌院」が建立後に見下ろすこととなります。

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信州信濃という名は、真田家の宗派である曹洞宗(禅宗)の僧侶が呼び始めた名称だと聞いたことがあります。真田家では、名前に「信」を多用しています。正に「信」の「州(くに)」なのです。しかし、真田家は実質「大阪夏の陣」で途絶えてしまいました。

大坂夏の陣で討ち死にしてしまった真田ですが、徳川家康方の信之は真田の姓を継いで生き残ることができました。このころに真田信幸は、真田家で代々受け継いだ「幸」を捨て、「之」に替えたと言われています。

徳川の配下となった真田の地。そして、室賀氏の里を背にし、その名も「寺」ではなく「院」とし、広大な土地にこの寺を建立した徳川家の目論見が見え隠れしてなりませんでした。

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2016年8月27日 (土)

真田氏ゆかりの寺 不動山「龍顔寺」/上田市

今回は、真田昌幸の弟である真田高勝(真田宮内之助高勝)の寺、不動山「龍顔寺」を紹介します。当初「龍顔寺」は、本人の名前を付けて「高勝寺」と名乗っていたとのことです。

1605年、兄である昌幸が九度山に配流されている間に看取られることなく亡くなっています。甥の信之からは、冥福を祈って寄進された記録が残っているそうです。

参道は、大きな池を渡り進んでいきます。

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池を渡ると立派な山門が現れてきました。

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真田の六文銭が掲げられ、鯱の乗った漆喰の立派な山門です。

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山門越に本堂が見えてきました。

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山門を潜り、振り返ってみました。

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こちらが本堂です。東大寺の大仏殿を彷彿させる二重楼閣造りの建物です。

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高勝の寺に相応しく、あちこちに花が咲いていました。

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歴史に名が出てこない高勝。高勝は日の本一の武者の家系にして争い事を嫌っていました。そんな経緯があり武士を捨て、帰農したため戦国の世では名が出てこないのです。

帰農すると、後に真田から金井姓に替え、金井高勝と名乗りました。現在、上田周辺の地域に多い姓となっています。

戦い無くして生き残れない真田家。しかし、六文銭を家紋とするなど信心深くそして驚くほどの数の寺院を建立して仏を敬いました。兄弟の中にこんな人が居ても不思議ではないのですね。

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2016年8月24日 (水)

真田の酒 / ⑯真田伝来「かくし酒」

上田城南西二里のところに、別所と呼ばれる真田家の隠し湯がある。

昌幸が信幸が幸村がそして十勇士が、傷をいやし体を休めた。

傾ける盃には、戦国の夢が弾き渡る。

徳川か、豊臣か、そして真田の未来は。

注がれる酒に未来を求め夢を見た。

聞こえてこないか! 彼らのロマンが。 

今、甦る真田伝来隠し酒。

これは、真田伝来「かくし酒」の箱書きの名文句です。

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真田の隠し湯とされている別所温泉の近くにこの「かくし酒」の酒蔵「若林酒造」があります。

信州の鎌倉と言われている別所温泉ですが、上田地区全体が真田の神社仏閣群といっても過言ではないほどの無数の社寺が点在しています。

さっそく本醸造の「かくし酒」をいただいてみました。風味豊かにこってりとした口当たりの濃密なお酒でした。最近、どのお酒も冷やして呑み比べていますが、こちらは冷やしても風味のバランスは崩れず、冷たくなった分清涼感が増して一層美味しくいただけました。

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醸造所のお勧めは「ぬる燗」とのことですが、このお酒独特のこってり風味感が一番感じられる温度かもしれませんね。

しかし、この季節。どうしても清涼感のある呑み方を追求しちゃうんですよね。

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2016年8月22日 (月)

真田氏ゆかりの城 / 丸子城

徳川軍は、第二次上田合戦において上田城攻めに手こずり、結局攻めきれずに諦めて最終的な目的地の関ヶ原に向かおうとしましたが、ここで更に徳川軍の行く手を阻み進軍を遅らせた城がありました。

それが「丸子城」です。徳川と、この「丸子城」との因縁は第一次上田合戦にさかのぼります。

徳川に「沼田城」を明け渡すことを断った真田昌幸に対し上田城攻めの第一次上田合戦が勃発しますが、徳川軍は苦戦して落城できないために矛先を「丸子城」に移して攻撃しました。

しかし、この「丸子城」も真田氏の出城、そう易々と落とせる訳がありません。あらゆる手を尽くすもどうにもならない所に上田城からの鉄砲隊の追撃に苦戦し、城下の民家に火を放って真田群の追撃を拒みました。その間に徳川軍は逃走退陣したということです。

そしてその第二次上田合戦。上田城を攻めきれず関ヶ原に向かった徳川軍でしたが、中山道の和田峠への途中にこの「丸子城」があり、この地区を通過するにあたり、苦い戦いの記憶がある「丸子城」の反撃を恐れた徳川軍は「丸子城」を避けて山の中の回り道を余儀なくされ、相当手こずったとのことです。

徳川秀忠が関ヶ原に遅れた理由がいくつか挙げられていますが、実はこの「丸子城」の存在もその理由の一つにあったようなのです。

そんな歴史に隠れた城「丸子城」に行ってみました。

駐車場からの入口(登山口?)です。お決まりの真田丸の幟が掲げられていました。

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この坂道の一段上の平地は公園になっていますが、上田城に仕えた家臣の根小屋だったということです。

公園を通過し、いざ城へ。

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何処かの山城で見た道の風景にやな予感。

案の定の険しい山城に汗みどろで二の丸に到着しました。

二の丸の跡地には見張り櫓が再現されていました。馬の背のような砦の両脇は依田川と内村川に削られた絶壁となっていて鉄壁の要害です。

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櫓から前回紹介した「虚空蔵山」が確認できました。

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二の丸の砦で風に当たって一服し、本丸へと向かいます。いったん下りますが更に本丸へと繋がる急こう配の道が繋がっていました。

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やっとのことで本丸に到着。この写真の左に「あづまや」の休憩所が造られていてゆっくりと休むことができました。傍らに井戸の遺構があり、飲物を持ってきていないことを後悔することしきり。

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徳川が向かった先の景色です。右方向が和田峠です。

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真田氏の里の方向から見た「丸子城」の山です。

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実はこの「丸子城」は、最初から真田氏の物ではありませんでした。

そもそもは、.この領地を取りまとめる依田丸子氏の居城だったのですが、当時徳川方だった真田氏が北条方だったこの「丸子城」を攻め落とし、以後真田氏の配下になったということです。

その戦(いくさ)が、真田信繁の初陣だったのだといいますから、ここが真田信繁の原点であるかも知れません。

徳川は、自分の家臣が落城した「丸子城」に結果的に散々苦しめられてしまいました。

徳川の真田に対する気持ちは想像に難くありませんな。

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2016年8月20日 (土)

真田の酒 / ⑮真田丸の里 吟醸

今回の「真田の酒」は、7月16日に紹介した信州銘醸㈱の「真田の里」赤ボトル純米酒の姉妹品で、黒ボトルの吟醸酒です。

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以前の赤ボトルと並べてみました。赤ボトルは、1回冷やしたので結露でラベルがヘロヘロになってしまいました。

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さて呑み比べですが、吟醸酒の方が全体にコクが加わった感じがします。甘み、辛味、苦みなどのバランスは似ています。冷やしてスッキリ呑むのであれば赤の純米酒。こってりと日本酒本来の風味を味わって呑むのであれば黒の吟醸酒というような感じでしょうか。両者それぞれに方向性を持った美味しい日本酒でした。

黒は、熱燗でもいけるかもしれませんが、さすがにこの季節、そこまでのガッツはありませんでした。

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2016年8月18日 (木)

真田氏ゆかりの地 / 第二次上田合戦 染屋台

今回は、第二次上田合戦の折、上田城を攻めるために徳川秀忠が前線基地とした地、「染谷台」を紹介します。

上田国分寺において真田昌幸に上田城を明け渡すと騙されて一杯喰わされた徳川秀忠は、小諸城を出発すると国分寺の先にある上田城を見渡せる染屋台に着陣しました。

徳川秀忠が着陣した染屋台地の「染屋城」は、真田が上田城の東方面の警護をしていた場所でした。その近くからの現在の上田城方面の見晴らしです。

当時は建物が殆ど無く、動きは手に取るようにわかったと思われます。

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現在、城跡は「豊染英神社」の境内となっていますが、城の面影は殆どありません。

こちらが、その「豊染英神社」です。

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そして、その神社裏手の染屋台地には、四万近くの徳川軍の兵隊が台地を埋め尽くしました。

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この染屋台地の一番南方向には「諏訪宮」が有り、南方の見張りを固めたようです。

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しかし、真田は東にある「虚空蔵山」(伊勢崎城)に騎馬隊を伏兵させていました。

山の向こう側が染屋台地と上田城方向です。左は、上信越自動車道です。戦国の武士たちはこんな時代になるとは想像も出来なかったでしょうね。

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こちらは、反対側の染屋台方向から見た景色です。上信越自動車道が「虚空蔵山」を巻き込むように走っています。

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「虚空蔵山」方面から見た上田城の様子。

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「上田城」に攻め込んで手薄となった「染屋城」の徳川秀忠の本陣を「虚空蔵山」に潜んでいた真田の騎馬隊が攻め込むと徳川陣営は右往左往の大混乱に陥り、統制の取れない状態になったということです。

徳川秀忠の率いる大群は、真田の戦略に振り回されまんまと策略にハマってしまい時間を費やしてしまいました。

その結果真田昌幸は、徳川秀忠の4万近い大軍団を関ヶ原の戦いに参戦できない足止めに成功してしまいます

徳川4万弱、真田2000という20分の1の弱小兵力での成せる業ではありませんね。肝が据わっているというか、軍旗として掲げている六文銭の決死の覚悟なのか。その常識破りの行動を読めないところが戦闘知力なのでしょうか。流石に戦国の世に「真田」有りの名を残すだけのことはありますね。

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2016年8月17日 (水)

真田の酒 / ⑭真田三代 × 真田十文字槍

今日の「真田の酒」は、「真田三代」「真田十文字槍」の呑み比べです。

共に「信州銘醸」の蔵出し、そして同じ十文字槍デザインということで勝負に不足無しです。

しかし、こちらの「真田三代」は純米酒、片や「真田十文字槍」は生酒の冷酒で方向性が違います。

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ツーショットの写真です。「真田三代」は720mℓ、「真田十文字槍」は冷酒仕立ての小瓶で300mℓです。

「真田十文字槍」は前回頂いているので空ビンです。

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さー勝負

「真田三代」は、純米酒ということでコクがあり呑みごたえのある味わいでした。「真田十文字槍」が爽やかな口当たりだったので真逆の味わいにビックリしました。

では、「真田十文字槍」と同じように「真田三代」も冷やしてみましたがそのコクが失われることはありませんでした。

今回は、自分の好みとしては、「真田十文字槍」に軍配が上がりました。

今まで醸造アルコールの入っていない純米酒の方が好みと思っていましたが、今回醸造アルコールが入ったものでもそのブレンド具合で美味しいお酒が造れるもんなんだと勉強になりました。

あくまでも好みの問題なので真逆の人もいることでしょう。自分好みのお酒を探すのは楽しいですね。

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2016年8月12日 (金)

真田の酒 / ⑬福無量 真田赤備え甲冑

今回の「真田の酒」は、上田市の沓掛酒造によって造られた、デザインが見るからに勇ましい「真田赤備え甲冑」バージョンの「福無量」という純米酒です。

「福無量」とは、観音経の「福寿海無量」という一節から取ったということです。神仏を大事に戦国時代を戦い抜いた真田氏にふさわしいですね。

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味は、すっきりとしたエグミの無い非常に呑みやすいお酒です。精米歩合が60%、そして純米酒なので雑味がないんでしようね。

これは冷やでも美味しいに違いないと思い、冷やして呑んだらすっきり感が倍増し、更に美味しくいただけました。

また、美味しい日本酒をみつけました。

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2016年8月11日 (木)

真田氏ゆかりの寺 功徳山「願行寺」/上田市

今回の「真田氏ゆかりの寺」は、功徳山「願行寺」です。

この寺は、真田氏の故郷である海野郷にあった寺でしたが、真田昌幸が上田城を築城する時に、上田城下の「厩裏(うまやうら)」(三の丸横)に移築しました。

その後、二代目城主となった真田信之によって城の虎口から東へ1㎞弱の真正面(実際にはクランクしていた)に改めて移築しました。

城から寺までの通りは海野町と命名し、海野郷から商人を誘致して城下町を形成しました。

こちらが山門(四脚門)ですが、移築当時は城に正対して真西を向いていました。

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しかし近年、上田の繁華街である海野町に「上田丸子線(1918~1969)」を開業させるにあたり、寺の裏の終点駅(上田東駅)と海野町との連絡道路を造るために寺の境内を道路が横断してしまいました。そのため現在の門は、取り付け道路に面した北方向を向いています。

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唐破風の山門には彫物が施され、創建当時は彩色がされた豪華なものだったようです。

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門は、創建当時の由緒あるものですが、本堂は現代落慶のようです。
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寺が海野郷から移築され、鉄道も海野宿(大屋駅)から同じ場所(上田東駅)まで敷設されたのは、何か因縁めいたものを感じてしまいます。

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2016年8月 9日 (火)

真田の酒 / ⑫真田十文字槍 生貯蔵酒

真田に由来する日本酒や焼酎が沢山世に送り出されているため、呑み比べが楽しいのですが、うっかりすると今年分が既に売り切れとなっているものも出てきました。

そんな中で、売り切れていると思っていた商品が初めて訪れた酒屋さんで見つかったりすると宝物を見つけたように嬉しくなってしまいます。

そんなお酒が今回紹介する「真田十文字槍」です。最近、私のお気に入りの酒蔵となった信州銘醸の生貯蔵酒です。

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生酒ということで冷やしていただきました。スッキリとした中にコクがあり、そしてこのお酒には麹の香が残っていて生酒をいただいているという特別感を味わうことができました。

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300mℓ の小瓶のため、このボトルはいろいろなお酒をちょっと小分けにして冷やして試飲するのに使うことにしました。常温、冷やそして燗と一番おいしい温度を見つけるのも楽しいものですね。世界広しと言えども、色々な温度で楽しめるアルコールは日本酒独特の物らしいです。

信繁は十文字の槍を使っていたということて゜「十文字槍」というと信繁のトレードマークのようなものですね。

兄貴分に、同じ十文字槍をデザインした純米酒の「真田三代」というお酒もありますので改めて紹介します。

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2016年8月 8日 (月)

真田まつり/真田鉄砲隊演武

4月の上田市内で行われた「上田真田まつり」に引き続き、8月6日に真田の郷で「真田まつり」が行われました。

今年は、NHK大河ドラマ「真田丸」が放送されていることもあり大賑わいでした。また、「真田丸」出演の寺島進さん、長野里美さん、大野泰広さん、中島亜梨沙さんらが掛け付けて華を添えていました。

このお祭りには真田鉄砲隊の演武があるため、気合を入れて写真に収めてきました。

出陣前の作戦会議です。 「開運!なんでも鑑定団」の鉄砲鑑定士として有名な澤田平さんが指揮をとります。

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          いよいよ始まりました。「構えー

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          「放てー」 鉄砲隊から一斉に火を噴きました。

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          澤田平さんから丁寧な説明がされていました。

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          前後から二段構えの一斉射撃です。

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          真田鉄砲隊の大勝利で幕を閉じました。戦の後の余韻です。

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          勝利の頭「真田信繁」も誇らしそうです。

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          真田鉄砲隊の皆さんお疲れ様でした。
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2016年8月 7日 (日)

真田氏ゆかりの寺 望富山「陽泰寺」②/上田市上野

由緒ある室町時代の「陽泰寺」の堂内を紹介します。

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入口を入ると、時代を感じる雲板や木魚が吊るしてありました。

左下は、木の魚で正に木魚。真ん中の丸い物は、なんと武田信玄が寄進した銅製の雲板で、共に合図などの知らせに打ち鳴らされた物で、禅の修行僧などの修行合図などに使われたのでしょうか。曹洞宗本山の永平寺で同様の物を実際に打ち鳴らしていた所を見たことがあります。

曲がりくねった巨木の梁が壁を出入りしています。

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いよいよ本堂内です。自由に撮影していいと言っていただいたのですが、ご本尊は恐れ多く遠慮させていただきました。

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本堂の一角に「大名駕籠」が2台吊るしてありました。

大名、公家、そして位の高い高僧だけが乗ることが許されていた駕籠なので、このお寺の格式が想像できます。

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こちらは、僧侶の休憩所とされている所だそうです。室町時代の鳳凰の屏風の前に州浜紋の入った椅子が置かれていました。

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こちらは座禅道で、画面右側に対象に同じ施設が造られています。

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そして、このお寺の檀家さんの位牌堂です。

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2016年8月 6日 (土)

真田氏ゆかりの寺 望富山「陽泰寺」①/上田市上野

砥石城の裾に「陽泰寺」という由緒ある古寺があります。

この寺の創建は古く、白鳳時代に「養泰院」という仏殿が造られたのが始まりだそうです。後に、鎌倉建長寺開山の「蘭渓道隆巡錫」により臨済宗となり、この時 源実朝より寄進がされています。

真田氏の祖先海野氏の更に基である滋野氏により「向富山」の山号を付けて開基され、海野氏の菩提寺として崇められています。

室町時代になってから甲州の曹洞宗の僧侶が入山し、以来曹洞宗の禅寺に変わり現在に伝承されています。

砥石城の真下のお寺ということもあり、1601年に砥石城主であった真田昌之から五貫文寄進の記録が残っているそうです。

まずは総門(三門)から。

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総門には「砥石法窟」の扁額が掲げられています。

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六地蔵の階段上に鐘楼門が見えてきました。

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鐘楼門を潜り反対側から撮ってみました。

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本堂の庭は綺麗に手入れがされていました。奥に見えるのが本堂です。

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真田氏の家紋は、「六文銭」「結び雁金」「州浜紋」が有りますが、真田氏の基である海野氏が開基した古寺ということもあり「州浜紋」が掲げられています。

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こちらは座禅道です。近年新しく建て直されました。

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今回、堂内を丁寧に案内していただきました。その様子は次回紹介します。

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2016年8月 3日 (水)

真田の酒 / ⑪「真田三代」呑み比べ

今回の「真田の酒」は、「真田三代」の呑み比べセットです。

お土産用にセットされたもので、同じ「真田三代」の銘柄で、「信州銘醸」と「沓掛酒造」の2つの醸造蔵の本醸造仕込みのお酒の呑み比べができます。

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お洒落な真田三代の袋に入って、六文銭のぐい飲み付とお得感MAXです。

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「信州銘醸」が精米歩合59%、「沓掛酒造」は精米歩合65%となっています。

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呑み比べてみて、さすが本醸造だけありまろやかな口当たりでした。「信州銘醸」の方が辛味が少々勝っているもののイヤミの無い軽やかなものです。

お土産用としては美味しいお酒のセットでした。この内容は、お土産に喜ばれるでしょうね。

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2016年8月 2日 (火)

真田氏ゆかりの寺 崇福山「安楽寺」/別所温泉

今回は上田市の名湯、「別所温泉」です。

上田駅から別所温泉駅までの別所線では、現在放送中の「真田丸」のラッピングが施された車両が走っていて、電車での移動は弥が上にも気分が高鳴ってしまいます。

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別所温泉に到着すると、お決まりの「北向観音」の参拝は欠かせません。

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こちらのお寺は、宗派が違うため、残念ながら真田との関係資料は残っていないようです。

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北向観音の参拝を終え、温泉街の奥に歩を進めると、外湯の「石湯」に到着します。

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「真田幸村公の隠しの湯」となっていますが、あくまで「真田太平記」の物語上の話で、史実ではないようです。しかし、利用した可能性も無きにしも非ずですね。

そして、今回の真田氏ゆかりの寺「安楽寺」です。(以後の写真は以前撮影したものです。)

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このお寺は、真田氏の宗派である曹洞宗で、別所温泉への湯治の際は宿泊所として利用していたそうです。

そんな縁もあり、真田昌之は幾度となく寺へ寄進をしているとのことです。真田の時代以前からの由緒ある古寺のため、真田の紋は確認されていません。

この国宝「八角三重塔」もそんな寄進が有って現在まで守られたのかも知れませんね。

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2016年8月 1日 (月)

真田の酒 / ⑩真田左衛門佐「信繁」

いよいよ真田丸の主人公、「信繁」の登場です。

今回は、酒蔵でしか手に入らない生原酒です。プレミアム感は、「信繁」の酒としては充分です。

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現在、信州銘醸の酒蔵と上田駅前のみやげ店「北村」でのみ手に入れることができます。生原酒のため、購入時に冷蔵貯蔵タンクから専用の瓶にその場で注いでくれます。このプロセスだけでも特別感満載です。

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要冷蔵で1ヶ月程は大丈夫とのことですが、直ぐに呑まない理由はありません。でも、実際のところ、真田の酒がいろいろと後に控えてはいるのですが・・・。

さっそくの味ですが、ズバリコクのある辛口です。口の中で、甘み、まろやかさなど探し当ててもそこにコクのある辛味がすかさずフタをしてしまいます。割水をしていない分、濃厚という表現の方が合っているかもしれません。本物です。

辛口が好きな方にはおすすめです。信繁の酒にして不足無しといったところでしょうか。恐れ入りました。

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