« 真田氏ゆかりの城 / 桝形城 | トップページ | 真田の酒 / ⑧真田丸の里 »

2016年7月12日 (火)

真田氏ゆかりの寺 密教山「顕徳寺」/東吾妻町原町

真田昌幸が武田勝頼を迎え入れようと用意した岩櫃山裾の、「古谷御殿」(潜龍院)は、勝頼が天目山で自害してしまったため使われることはありませんでした。

その「古谷御殿」は、真田の家臣である禰津潜竜斎昌月という山伏の寺として使われることとなり、「潜龍院」と名付けられました。「潜龍院」は、諜報部隊あるいは忍者の集団だったのではないかといわれています。

その「潜龍院」の名が今でも残り使われていますが、本来は勝頼の「古谷御殿」という呼び名でした。

後に、この「古谷御殿」は、岩櫃の大火で消失してしまいますが、直ぐに再建されたといいます。

明治に入り修験禁止令が下り、山伏の活動が禁止され、更に全国の多くの建物も破壊されてしまうこととなります。

「古谷御殿」も取り壊される運命でしたが、真田の家臣である出浦対馬守が現在の原町の地に寺を造って移築し、今でも「顕徳寺」の護摩堂として使われています。

このお寺の隣の信号名が、なるほどとうなずける名前です。その名も「御殿」です。

Img_2714_1

山門の様子です。

Img_2718
「顕徳寺」の護摩堂です。山号は「密教山」です。意味深ですよね。

Img_2722
勝頼のための「古谷御殿」は燃えてしまいましたが、ほぼその時の建物と同じものを1600年代に再建したとのことで当時の面影を強く残しているそうです。

Img_2730
屋根を拡大して見ると武田家の縦長の四つ割菱が掲げられています。

Img_2730_1
幾度となく改修はされているようですが、当時を感ずることのできる貴重な建物です。Img_2749
他にも古そうな建物が有るのですが、時代背景は不明でした。

Img_2747
Img_2745

|

« 真田氏ゆかりの城 / 桝形城 | トップページ | 真田の酒 / ⑧真田丸の里 »

神社・仏閣」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 真田氏ゆかりの寺 密教山「顕徳寺」/東吾妻町原町:

« 真田氏ゆかりの城 / 桝形城 | トップページ | 真田の酒 / ⑧真田丸の里 »