« 2016年6月 | トップページ | 2016年8月 »

2016年7月

2016年7月31日 (日)

真田氏ゆかりの神社 生島足島神社/上田市下之郷

生島足島神社は、太古より多くの人々に崇め続けられている大変由緒のある神社で、生島神社と足島神社の二社の御神体を祀っています。

武田信玄をはじめとして、真田一族の書状が100通近く保存されています。また、神に誓って武田信玄に忠誠を誓う二百数十名もの家臣の血判を押して奉納した起請文が保存されており、国の重要文化財に指定されています。

Img_2915

Img_2929

御本社(上社)は、神池といわれる大きな池の中に有る島(神島)に鎮座しています。

Img_2916

Img_2931_2

島には、一般参拝者の橋と神さまの御神橋が掛けられています。

Img_2919

Img_2921

Img_2925_2

また、島と正対している所に下社の諏訪神社があり、これは真田信之が寄進した建物だそうです。長野の善光寺と別所の北向観音が正対していて、お互いに邪気を払っているそうですが、この「生島足島神社」と正対している「諏訪神社」も同様の様式です。

真田一族は、神社にも邪気払いを配し、城の鬼門にも神社を配すなど結構な用心深さです。

Img_2936

しかし、真田氏ゆかりの社寺が多いことに改めて驚いてしまいます。「日本一の兵」も神仏を大事にしたんですね。最近、「赤備え」の赤は、邪気を払う神殿の朱色からきたのではないかと考えるようになりました。寺の六文銭に神社の朱色。そして、兜には神の使いである鹿の角。こりゃ無敵なわけだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年7月30日 (土)

真田の酒 / ⑨真田の3本セット

今回の「真田の酒」は、信州銘醸の「信州うえだ」と「真田城」、そして和田龍酒造の「真田太平記」です。お土産用に3本をセットしたお酒でなので、呑み比べに楽しめますね。

Img_3027

     「恵まれた自然が酒蔵」

Img_3026_2

まず、「信州うえだ」からいただいてみました。ボトルの雰囲気に真田っ気はないですが、真田の御膝元の上田ということで良しとしましょう。

このお酒は、甘み・酸味・苦みなどのバランスの良い口当たりでビックリしました。私好みですが、信州銘醸のどの銘柄をこの「信州うえだ」として特別パックしたのか解らないので残念です。

次は「真田太平記」。このお酒は、池波正太郎さん原作のNHKドラマ「真田太平記」が昭和60年代に放送されたときから有るので古株ですね。

味は、ちょっと苦みが口に残り私にはキツイお酒でした。好みの問題なので辛口が好きな人にはいいかもしれません。残りを冷やしてみました。どんな風に変わりますかね。

そして、最後に「真田城」ですが、これは、兄貴分に本醸造の「真田城」が有るので改めて呑み比べの紹介をします。

Img_3021

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年7月28日 (木)

真田氏ゆかりの寺 皓月山「大英寺」/松代町

前回紹介した母山手殿を弔うために建立した「大林寺」の隣に、信之は妻小松姫を弔うために「大英寺」を寄り添うように建立しました。

長い壁を回り込むと「大英寺」の参道が有りました。

Img_2793
Img_2798
「大英寺」は建物の一部を上田の小松姫の菩提寺であり墓所である「芳泉寺」から移築しています。

こちらが山門です。真田氏のゆかりの建物の中でも古いものです。

Img_2807
そして本堂ですが、残念ながら現在大掛かりな保存改修がおこなわれていて全貌を見ることができません。

Img_2800
改修現場の入口から少し中が見えるのですが、かなり立派な建物のようです。

Img_2805
この本堂は、小松姫の霊屋として造ったということで、正しく小松姫を弔うために造られた寺ですね。

本堂の隣に上田の「芳泉寺」から移築した鐘楼があります。移築が1620年代なのでそれ以前に建てられた建物になりますから、真田ゆかりの建物の中ではかなり古いものになります。

Img_2810
屋根瓦に六文銭の紋が少し残っていました。

Img_2812
「大英寺」の建物は1600年代の真田の時代の物ばかりで、本堂の完成が楽しみです。案内では来年、現場の方の話では2年後の完成と言われていました。完成したら改めて紹介します。

信之は長生きだったため、身の回りの人達は皆なくなってしまいました。御霊をそばに置きたい気持ちが行動に現れていますね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年7月27日 (水)

真田氏ゆかりの寺 寒松山「大林寺」/松代町

寒松山「大林寺」は、真田信之が上田から松代に移る際、母の山手殿の発願で建立された上田の「大輪寺」を松代の地に分院して建立した寺です。

Img_2791_2

参道を入ると直ぐ左に六地蔵が現れます。

Img_2780

伝説では、ある日人出の足らなくなった田んぼの作業に六人の若者が顔まで泥だらけになって手伝ってくれ、名も名乗らずに去って行ったということですが、次の日この六地蔵の顔が泥だらけだったという言い伝えのあるお地蔵さんだということです。

Img_2781_2

Img_2785
本堂の屋根には立派なしゃちほこが乗っていました。

Img_2788_1

山手殿は、夫の真田昌幸が九度山に流されてから剃髪し、「大輪寺」での生活を始めました。高野山が女人禁制だったために同行しなかったのか、不自由な生活を案じて昌幸にとがめられたのかは定かではありませんが、山手殿は一緒に行けばよかったと度々漏らしていたということです。

昌幸は、大坂の陣の前に亡くなっていますが、三回忌を迎えた後(二年後)山手殿は断食をして命を絶っているということです。剃髪をして仏門に入ってまで夫を案じ、最後まで追っていった気持ちが切なすぎます。

そんな中、両親と離れた信之も御膝元に母の魂をそばに置いておきたかった気持ちは痛いほど解ります。寺の山名も母山手殿の院名(法名)である「寒松院」から取り、「寒松山」とし、供養塔も設けています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年7月26日 (火)

真田氏ゆかりの城 / 岩櫃城②

岩櫃城跡で景色を楽しみながら暫し一休みです。

Img_2663

傍らに石の祠が有りました。

Img_2653
祠は、真田ファン達の賽銭で一杯でした。

Img_2655

さー下山しましょう。違う道から下山することにしました。

岩櫃城から土塁が連なっています。

Img_2664
土塁を抜けると一気に落ち込んでいました。つづら折りの道が整備されていますが、当時この道が有ったのかは不明です。

Img_2666
出城の天狗砦まで降りてきました。岩櫃城の山を見上げてみました。

Img_2688
反対方向には岩櫃神社が有ります。

Img_2690

神社は近年建て替えられたもので当時を想像することはできません。

Img_2694
Img_2704
この神社は江戸時代になってから祀られたとなっていますが、岩櫃城の正しく鬼門の方向の神社であることを考えても間違いなく岩櫃城の守護神として祀られたものと個人的には考えています。

近年調査が進み、少しずつ城の縄張りなどが解ってきたもののまだまだ未知の多い岩櫃城です。解れば解るほど真田の凄さが解明されていきますが、謎多き物には魅力が尽きません。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年7月25日 (月)

真田氏ゆかりの城 / 岩櫃城①

真田を語る上で岩櫃城は無くてはなりませんが、築城は南北朝の時代に逆昇る古来より要の地の城だということです。築城した人は諸説あり定かではないものの、真田の時代に城の機能として整備されたことは間違いのない史実のようです。

さて、それでは岩櫃城に向かい出発です。

Img_2609
少し進むと杉林の林道になりました。

Img_2613
程なく進むと中城の広い空間に出ました。どんな建物が在ったのでしょうかね。

Img_2619
中城を通り過ぎるとまた杉林の中に入りました。道下は絶壁です。

Img_2620
いよいよ急な道になってきました。砥石城と同じように丸太で組んだ階段です。

Img_2625
登り上げると見晴らしのいい所にでました。見張り台になっていたんでしょうね。

Img_2631
更に登っていきます。この上が二の丸跡です。

Img_2629
二の丸跡に到着です。さっきと違う方向の景色が開けました。ここも見張り台の機能があったようです。.

Img_2635

Img_2637
さーこの上が本丸跡です。

Img_2639
本丸跡まで登って来ました。楽しみながらボツボツと登ってきても汗だくなので、戦国の重装備に増して矢の雨ではとても城は落とせそうもありませんね。

Img_2644
見張りの砦とした岩櫃山を背に堅固な岩櫃城、そして岩櫃城を囲むように出城を幾つも配し、その城下町も上田城と同じように色々な仕掛けがされていたということです。

日本でも筆頭の規模の山城群の広大な敷地で形成されたこの城は、真田にとっても大切な城であったとともに、周囲の大名たちが喉から手が出るほど欲しかった要所であったことが今尚想像できるものでした。

岩櫃城 その2に続きます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年7月16日 (土)

真田の酒 / ⑧真田丸の里

今日の「真田の酒」は、上田市の信州銘醸㈱で醸造されたお酒です。

その名も「真田丸の里」。ラベルは「真田○ノ里」と文字がチョット洒落ています。そしてボトルは「真田の赤備え」の真っ赤っかです。

Img_2535

ぐい呑みに注ぐときに赤い酒が出てくるんじゃないかとチョットドキドキ。まーそんなこともあるわけなく、普通のお酒でした。

さー頂いてみましょう。オッ!まろやか。と思いましたが、辛味が口に少々残りました。何故か「真田の酒」の多くがこの呑み口で共通性があるように思います。今まで紹介した「真田の酒」シリーズの中では「小松姫」と並んで私好みのお酒でした。

冷やで呑むともっと美味しいような気がしたので残りは冷やしてみました。

Img_2538
真田にゆかりのある銘柄のお酒がいろいろと各地で販売されています。次はどんなお酒が登場するでしょうか。

※追記  冷やして呑んだらGooでした。この「真田の里」は、吟醸酒もあるのでお楽しみに・・。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2016年7月12日 (火)

真田氏ゆかりの寺 密教山「顕徳寺」/東吾妻町原町

真田昌幸が武田勝頼を迎え入れようと用意した岩櫃山裾の、「古谷御殿」(潜龍院)は、勝頼が天目山で自害してしまったため使われることはありませんでした。

その「古谷御殿」は、真田の家臣である禰津潜竜斎昌月という山伏の寺として使われることとなり、「潜龍院」と名付けられました。「潜龍院」は、諜報部隊あるいは忍者の集団だったのではないかといわれています。

その「潜龍院」の名が今でも残り使われていますが、本来は勝頼の「古谷御殿」という呼び名でした。

後に、この「古谷御殿」は、岩櫃の大火で消失してしまいますが、直ぐに再建されたといいます。

明治に入り修験禁止令が下り、山伏の活動が禁止され、更に全国の多くの建物も破壊されてしまうこととなります。

「古谷御殿」も取り壊される運命でしたが、真田の家臣である出浦対馬守が現在の原町の地に寺を造って移築し、今でも「顕徳寺」の護摩堂として使われています。

このお寺の隣の信号名が、なるほどとうなずける名前です。その名も「御殿」です。

Img_2714_1

山門の様子です。

Img_2718
「顕徳寺」の護摩堂です。山号は「密教山」です。意味深ですよね。

Img_2722
勝頼のための「古谷御殿」は燃えてしまいましたが、ほぼその時の建物と同じものを1600年代に再建したとのことで当時の面影を強く残しているそうです。

Img_2730
屋根を拡大して見ると武田家の縦長の四つ割菱が掲げられています。

Img_2730_1
幾度となく改修はされているようですが、当時を感ずることのできる貴重な建物です。Img_2749
他にも古そうな建物が有るのですが、時代背景は不明でした。

Img_2747
Img_2745

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年7月 7日 (木)

真田氏ゆかりの城 / 桝形城

砥石城を後にし、この砥石城群の中で最高峰の桝形城に向かいます。

実は、砥石城へ来る道中の階段の始まり箇所には米山城へ行く分岐があるのですが、今回は最終地点がこの桝形城だったので米山城は改めて紹介します。

桝形城へは砥石城から一端下り、本城を経由してまた登り上げるという行程となります。

本城への降り口はかなり急斜面となっており寅ロープが補助で張ってありました。

Img_2571
暫く進むと本城下の大手口跡に付きました。一面草に覆われた平場の奥に本城の腰曲輪が何段か見えてきました。

Img_2573
腰曲輪を左に見ながら進みます。チョット熊が現れそうな雰囲気に周囲をキョロキョロ。

本城は流石に各砦より広い面積の高台となっていました。建物が無いため当時の見晴らし状態はわかりませんでした。(後で気付きましたが、写真を撮っていませんでした。)

さらに桝形城への道は続きます。腰曲輪が連なっており、道と間違いそうです。

Img_2574
ちょっと道が急こう配になってきました。この後、また擬木の長い階段がありました。

Img_2577
山肌に石の板があちこちに現れていました。砥石城は本来、戸石城だったらしいのですが、戸板のような石が沢山有ったためではないかと推測されます。

Img_2579
ようやく桝形城に到着しました。その名の如く、桝形の監視砦だったようです。

Img_2588
この山からは真田の郷が一望できました。周囲の育ってしまった木々が無かったらさぞ爽快な景色でしょうね。

Img_2586
Img_2584
しばし心地よい風を受けて体を休め、下山しました。

長ーーーい階段を気を付けて下っていきます。

Img_2590

砥石城 標高789m、桝形城 標高830mのプチ縦走でした。

暫く登山から離れていたので運動不足を痛感しました。

元来た駐車場に到着すると信州リンゴがたわわに実っているのに気付き、ちょっとホッとする瞬間でした。

Img_2595

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年7月 6日 (水)

真田氏ゆかりの城 / 砥石城

真田氏ゆかりの城を語る上で外せないのが砥石城です。特に幾多の上田の合戦において砥石城は常にキーポイントとなっていました。

そんな砥石城をやっと攻め落としてきましたので紹介します。

この砥石城は、戦国で敵なしと言われていた武田信玄の最強軍団が、砥石城を落とせずに敗退して武田の戦に汚点を付けてしまった城です。世に言う「武田崩れ」という代名詞まで付いてしまった不名誉な戦いでした。

しかし、凄いのは翌年に真田軍が1日で落城させてしまったということです。真田は名を上げ、以後上田城の重要な出城として活躍していくこととなります。

さーそれでは砥石城に突撃です。馬を降り・・・いや、車を降りて入口に着くとこんな看板が・・・。

Img_2543

城なのに「登山道」。さらに「なめんなよ!」との先制パンチ。

登山道の方向を見ると整備された道があるではありませんか。やや安堵。

Img_2544
カーブを曲がってテーマパークのような砦門を潜ると本格的な山肌の道が奥へと続いています。まーまー平らな広い歩きやすい道です。

Img_2546
奥へと進んでいくと斜面を切り落とした道に変わってきました。まだ歩きやすい道です。

しかし、この先で、汗みどろで下ってくる人とすれ違い、やな予感が胸をよぎります。

Img_2550
不安は的中。その先にはどこまでも続いている超急斜面の擬木の階段が目の前に現れました。

むー。なるほど、これが幾多の戦下で敵を寄せ付けなかった「砥石城」か。

でもやる気満々でいざ突撃ー。

Img_2558
途中2度の休憩を余儀なくさせたなかなかの斜面をやっと登り上げてくると石を掘った階段になりました。おっ、やっと砥石城に到着したかなと思いきや、その先にも階段が続いていてやや戦意消失。

Img_2560
そしてやっと「砥石城跡」の表示を確認。やっと到着しました。

Img_2564
山の頂だけあり、周囲の景色は抜群です。その当時は周囲の木々は全て伐採してあったものと思います。

上田城下の街並みが全て見渡せます。

Img_2565
 小諸城方面です。

Img_2563
なるほど、これだけ見晴らしがいいと見張りの砦としては申し分が有りませんね。

互いにのろしの信号を送りあったのは明白ですね。

Img_2570

さて、砥石城といってもこれで最後ではありません。東太郎山の尾根全体の砦群を総括して砥石城と呼んでいます。

本城を中心に、米山城、桝形城、そして砥石城のそれぞれが四方の様子を監視していました。

次回は砥石城から桝形城までの様子を紹介します。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年7月 4日 (月)

真田氏ゆかりの地 上田城城下町/柳町通り

上田城下には、江戸と善光寺さらに日本海を結ぶ北国街道が通っていました。その北国街道の街並みの一部が残っているのが「柳町通り」です。

Img_2206

流石に戦国の真田の時代の建物ではありませんが、間違いなくその通りで当時の営みがあったことは事実ですし、その当時の末裔の人も居ることでしょう。

Img_2221

前回は酒蔵でしたが、今回は信州で名産の味噌屋さんを紹介します。その味噌屋さんは、「武田味噌」です。

本社は川の対岸に有るのですが、近年この建物で武田味噌の関連商品の販売を.はじめました。

Img_2188

本社のある対岸側から撮影した街並みの裏側です。古い建物は全て川一杯に石垣で基礎を築き、壁を造っているため外敵の侵入が出来ない造りになっています。

Img_2183

西側にある橋のたもとの倉庫です。白壁となまこ壁のコントラストが綺麗ですね。

Img_2176

その倉庫から店舗方向の様子です。

Img_2178

Img_2179
古い街並みの定石である漆喰壁、窓には縦格子、そして建物の両側にはうだつです。

・・・・・つづく。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年7月 3日 (日)

真田氏ゆかりの寺 金縄山「実相院」/真田町傍陽

今回の真田氏ゆかりの寺は、金縄山「実相院」です。

Img_2499

真田氏が牧場を生活の糧として最初に真田の地で暮らし始めたのがこのお寺の回りだったとのことです。

以前、角間渓谷を紹介した時 、坂上田村麻呂が馬頭観音に祈願して鬼を退治したという話の祈願寺がこちらです。

実相院は、山家神社の神宮寺であった白山寺が廃寺となった時、本尊の十一面観音像をこの寺に移しました。あの、「白山大権現」のご本尊をこのお寺に移したということです。

こちらは、山家神社で頂ける「白山大権現」の御朱印です。

Img_2487
この実相院の歴史は古く創建は不明とのことですが、幾度となく兵火にあい1300年代に再建された記録は残っているそうですが、その後も幾度となく戦火にみまわれています。現在の本堂は近年の物ですが、観音堂は1700年代に再建された建物で、今でも残っています。

観音堂までの階段がかなりの勾配でビックリしました。

右上に崖造り(懸造り)の清水寺の舞台のような建物が少し見えてきました。

Img_2502_2
一段一段踏みしめながら上がりきると観音堂の全貌が見えてきました。

Img_2509
右側に舞台が張り出しています。

Img_2513
Img_2515
Img_2517
お参りを済ませた後、真下から見上げてみました。

Img_2522
なかなか立派な観音堂で驚きました。

このお寺は、真田氏の社寺を巡る機会が無ければ知らなかったかもしれません。このお寺まで出向く人はあまり居ないとのことで、真田氏ゆかりの所としては穴場かもしれません。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年7月 1日 (金)

真田の酒 / ⑥上田城 × ⑦沼田城

今回は真田の代表的な城である「上田城」と「沼田城」です。まずは「上田城」から。

こちらは以前紹介した上田市の「岡崎酒造」の清酒です。

Img_2241
上品な甘みを感ずる呑み口ですが、後から辛味が口に残り呑みごたえがあります。

Img_2531
そして、「沼田城・小松姫」です。こちらは、沼田市の「大利根酒造」です。

小松姫の姿がラベルとなっていて日本酒には珍しいですね。

Img_2539
「小松姫」とあってエグミのないスッキリとした呑み口です。品のある甘みと辛味が主張せずに少しずつ感じられ、冷酒でいただくといいかもしれません。

Img_2540
上田城が男の酒・真田信之ならば、沼田城は女性の酒・.小松姫といったところでした。

どちらもお城の御膝元の酒造場なので味わい深いですね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2016年6月 | トップページ | 2016年8月 »