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2016年6月13日 (月)

真田氏ゆかりの城 名胡桃城/みなかみ町

歴史が大きく変わる事件はいくつかありますが、「名胡桃城事件」もその一つでしょう。

豊臣秀吉の裁定により沼田城は北条氏に、「名胡桃城」は辛うじて真田の領地として残ったものの、北条は名胡桃城主の鈴木重則に上田城に至急向かうようにとの偽の手紙を送りつけ、重則の留守の間に「名胡桃城」を乗っ取ってしまった。

重則は、道中の岩櫃城に着いたときに策略に気付き至急舞い戻ったものの既に時遅し、「名胡桃城」は北条氏が占拠した後だったという。

重則は責任を痛感し、正覚寺(現在、小松姫のお墓のあるお寺)の境内で【立ち腹】という主君に一番忠義を尽くす立ったままの切腹で果てたといいます。

それを知った豊臣秀吉は無法者の北条に激怒し、北条つぶしへと突き進んでいきます。20万余もの軍勢で小田原に立ち向かった秀吉の気持ちが尋常ではなかったと想像します。

その歴史的な「名胡桃城跡」を訪れてみました。

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近年、発掘調査もひと段落して綺麗に整備されていました。

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三方が絶壁の山城独特の地形です。

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本丸跡に大きな石碑が建っていました。.

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沼田城方面の郭の回りは絶壁です。

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現場の案内図が当時の様子を想像させます。

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右前方は沼田城。沼田城と名胡桃城は互いに城下の様子を監視していたようです。

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長手に約200m以上もの連郭式という方式の山城だったのだそうです。残念ながら国道17号線により分断されています。

真田の心意気と凄さをこの地でも感じることが出来ました。

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