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2016年5月

2016年5月31日 (火)

真田氏ゆかりの神社 北赤井神社/上田市真田町

今回は「真田六神社めぐり」の最後、六番目の紹介です。

この神社は、真田本城の防衛において南側の死角である天箱山に築かれた天白城の守護神として城の裾に祀られた「天箱社」が起源とされています。

明治に入り、天箱社はこの赤井地区の北側に位置していたことから北赤井神社と改名されてしまいました。

この神社は見つけにくい場所に有るため、きちんと下調べをするか、地元の人に聞いた方がいいかも知れません。

道が細く、駐車スペースが無いため、遠くに駐車する必要があります。

天白城入口という看板を目安にこの細い道を突きあたりまで進み、左折すると神社の鳥居が確認できます。

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神社の鳥居前に古い墓跡が有りますが、詳しくは不明でした。

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鳥居の奥にやしろが確認できますが、かつての真田の時代を彷彿とさせる建物ではなく、最近造られた建物のようです。明治以降は、この集落の鎮守様といった位置づけのものになっているようです。

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神社の裏へ回ってみると、建物の右側(山側)には立派な石積みが確認できました。

神社の向かって左下もやはりしっかりとした石積みが残されています。

その昔、真田が祀った「天箱社」はさぞ立派であったろうと想像できる唯一の痕跡です。

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この神社は「天白城」へと繋がる道の途中にも奥社が有るのですが、その奥社も最近整備された新しいものに変わっています。

社の裏手にかわいい石の祠がありました。

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神社でお参りを終え、もと来た道へ戻ります。人知れず祀られている神社であり、境内は草に支配されていました。

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かつての真田の栄華をそこに想像することが出来ず、過去のものになっていく虚しさや悲しさを感ぜずにはいられませんでした。

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2016年5月28日 (土)

真田の郷の酒屋 / 地酒屋「宮島酒店」

「真田の酒」を紹介する上で、真田の郷の酒屋さんを紹介しなければということで、昔から知っている酒屋さんを紹介します。

店名は、地酒屋「宮島酒店」です。

真田街道の144号線沿いの「信綱寺」の真南に位置しています。詳しくはホームページ店主ブログでご確認ください。

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以前は外から店内が見渡せる造りだったのですが、ある時からガラス全面にフィルムを貼った外装になり、そのころから日本酒専門店に変わったようでした。

フィルムは、酒に影響する太陽の光を遮るためという店主宮島さんのこだわりがあったようです。

お店に入ると正面に今旬の「真田丸」のコーナーが設けられていました。勿論、何度か購入させてもらっています。

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奥に進むと店内一杯に店主自ら厳選した地元の日本酒がずらりと並んでいます。

日本酒好きにはたまらない景色ですね。

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店内は冒頭でも紹介したとおり外光をシャツトアウトし、更に必要以上に照度を上げていないため若干暗めな感じになっていて、室温も常時23℃、そして湿度も55%を保つこだわりようです。また、吟醸酒や清酒のための専用貯蔵冷蔵庫も保有され、ベストの環境で日本酒が保管されているようです。

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商品を購入すると、保管方法をはじめお酒をベストで呑めるアドバイスを丁寧にしていただけます。

真田の郷にいらっしゃって地酒をお土産に購入されたいという方は絶対にお勧めの酒屋さんですよ。

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2016年5月26日 (木)

真田氏ゆかりの神社 安智羅神社/上田市真田町

今回の真田氏ゆかりの神社は、松尾古城の裾に祀られた「安智羅神社(安智羅大明神)」です。「真田ゆかりの六神社めぐり」の5つ目の紹介となります。

この神社は松尾古城の裾に祀られていることから城の守護神として造られたのでしょうか。そもそも松尾古城自体が真田氏の誰がいつ造ったのかも明らかにされていません。

神社は角間渓谷に行く本通りの直上に鎮座しています。

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参道の階段を登り上げると森の鎮守といった趣のかわいい神社が現れました。

この山の上が「松尾古城跡」で、真田忍者の修行地だったともいわれています。

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神社の鳥居の前には半跏像の石仏が有りましたが、頭が無くなり石が乗せられていました。

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鳥居を潜ろうとすると、田んぼの隅に建てられた棒の上で日向ぼっこをしている蛙を見つけました。

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狛犬ならぬ狛蛙・・・

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この神社の創立は1530年とのこと。御神体が真田幸隆か信繁の幼少時の座像だということだそうですが、定かではないとか。現在は御神体自体は別の所に保存されているそうです。

神社の創立が幸隆が17歳の時の1530年の創立のため、座像が創立と同時だとすると幸隆説のつじつまが合います。しかし、創立当時は御神体は12神将の安底羅大将で、後に真田の座像に変わったということも言われているので、この説だと信繁だということもいえますね。そんなことからどちらの像であるかいまだに不明なんだそうです。

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神社の裏の石の祠には「安智羅神社」の御朱印が奉納されていました。

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知れば知るほど謎だらけの真田一族。興味は尽きません。

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2016年5月25日 (水)

真田氏ゆかりの寺 岩井山「白山寺」

真田氏ゆかりの寺ということで岩井山「白山寺」の名が出たものの現在この寺は存在していません。

古来、神仏習合が一般的であった時代から「白山寺」は「山家神社」と同じ敷地内の神宮寺として現在の「真田神社」の位置に存在していました。

しかし、明治の神仏分離令により「白山寺」は廃寺となってしまい、その寺跡に真田氏を御神体とした「真田神社」が祀られました。上田城跡にも「眞田神社」が有るのでややこしいですね。

こちらは現在の「真田神社」です。

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NHK大河ドラマ「真田丸」の中に時々「白山大権現」の掛け軸が登場しますが、真田氏は「白山寺」と「山家神社」を「白山さま」と称し、大切な守り神として信仰していたためなのです。

こちらは、オープニングに登場するシーンです。真田 昌幸の部屋にはいつも掲げられていますね。

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白山信仰は、石川県の白山が起源とされているようですが、全国に3000社近くの分社があるそうです。この「白山大権現」の掛け軸は「山家神社」に大切に保存されています。大規模な展覧会などでは時々本物を見ることができます。

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2016年5月22日 (日)

真田氏ゆかりの神社 皇大神社/真田御屋敷跡地内

今回は、真田ゆかりの六神社の中の一社「皇大神社」です。

真田昌之が上田城を本拠地とするためにここから移る際に真田氏の居住地を守るために神社を造り祀ったとされているそうです。

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丁度訪れた時は境内のツツジが満開の時期でした。

まずは鳥居から案内いたします。

伊勢神宮から分霊された神社ということで、伊勢太神宮の幟が掲げられていました。

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鳥居の先には拝殿が正面に現れますが、境内一面がツツジの海で圧巻です。

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拝殿の裏手には本殿があります。

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千木と鰹木がいかにも神社という趣をかもしだしています。千木の形から男の神様のようですね。

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戦国武将は真田に限らず本当に神仏を大事にしていたようですね。

この真田の御屋敷は、土塁や堀跡も残っていてちょっとした要塞の体をなしていたようです。

広大な敷地は「御屋敷公園」として保存され、園内には真田の多くの資料が展示された「真田歴史館」が有ったりと見応えのある場所となっています。(こちらだけ冬に撮影した写真です。)

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2016年5月17日 (火)

真田氏ゆかりの神社 諏訪神社/真田本城内

この諏訪神社は、現在山家神社で特別な御朱印を分けていただける「真田ゆかりの六神社めぐり」の中の一社です。(御朱印のいただける神社は宮司のいらっしゃる山家神社だけです。)

真田本城のすぐ下に祀られた神社で、城を一番攻め込みやすい場所に守護神として祀られました。

この幟のすぐ下に有るのですが、本城跡まで行ってもこの神社まで行く人はなかなか居ないようです。施設案内が不十分かもしれません。城に関係した由緒ある施設がそばにあるのにもったいないですね。

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下から見上げた「諏訪神社」です。少し上ると真田本城です。

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ツツジが綺麗に咲いていました。

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小さな神社ですが、あの有名な諏訪湖のほとりの諏訪神社の分霊を祀った神社なのだそうです。

後ろにはきちんと本殿が造られていました。

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2016年5月16日 (月)

真田氏ゆかりの寺 「廣山寺」/真田町

今回の真田ゆかりの寺は真田町の「廣山寺」です。残念ながら山号が分かりませんでした。

 ※その後、山号は「上原山」だと教えていただきました。ありがとうございました。(6/7)

参道の六地蔵に迎えられて山門を目指します。

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次の写真1枚だけは冬に訪れた時の様子です。

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この山門の屋根瓦を見て「あっ!」と思う人は「真田丸」通ですね。

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この屋根瓦、実は「真田丸」のオープニングのカットに使われているんです。今度じっくりとオープニングシーンを確認してみてくださいね。

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こちらの寺は、信綱と昌幸の父である真田幸隆の創建した寺で、以前は敷地に隣接して信綱の屋敷があった場所だといわれていいます。隣に小学校があるのでそのあたりだったのでしょうかね。

妻のお北は長篠の戦で信綱が戦死した後、その屋敷で余生を過ごしたとされています。

そのため、信綱の妻お北は、このお寺にお墓を造り祀られています。

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建物の広縁の天井には龍が一面に描かれているとのことなので、今度訪れる時には拝見させていただこうと思っています。

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2016年5月15日 (日)

真田氏ゆかりの神社 山家神社/上田市真田町

以前紹介した「山家神社」ですが、「信濃国真田相伝」と題して真田地区の真田氏にゆかりのある神社六社を参拝した証として六社の御朱印を一枚にまとめた特別の色紙を発行してもらえることになりました。

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真田町内には大小沢山の神社が点在しています。その中でも真田氏にゆかりのある神社が、山家神社、真田神社、皇大神社、諏訪神社、安智羅神社、北赤井神社です。

中でも特に親密な神社は山家神社ですが、以前紹介したとおり奥宮が四阿山(あずまやさん)山頂にあります。

この山から流れる水が、真田の生命の根源ということで古くから真田の神山としてあがめられていました。真田を経て上田市に流れ込む川の名前が神川と名付けられていることからも信仰のあった山であることがうかがえます。

以後の写真は、山家神社で色紙をいただいた日に撮影しました。

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その他の神社は順次紹介していきます

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2016年5月14日 (土)

真田氏ゆかりの城 / 松代城

今回は川中島合戦の舞台となった松代城です。

こちらは太鼓門と前橋です。

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武田信玄の信州の要であったこの城(当時は海津城)は、信州進行を目論んだ上杉謙信とのつばぜり合いの場となりました。

松代城から北へ3Kmほどの川中島の合戦場は、現在「川中島古戦場跡」として公園に整備され、博物館も併設されています。

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こちらは松代城から西に2Kmほどのところにある妻女山山頂からの眺めで、上杉勢の前線基地となった山です。上杉勢は合戦前にここから海津城の動きを探りました。

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やがて海津城から上る「のろし」を確認した上杉勢はその日の夜に山を下り川中島へと向かい遂に武田勢との戦いになりました。

そんないきさつのある松代地区ですが、松代藩の城主として真田信之が入城して以降は松代城と改名して明治になるまで真田氏が統治しました。

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2016年5月13日 (金)

真田の酒 / ③真田六文銭

今回の真田の酒は、ズバリ「真田六文銭」です。

醸造元は真田氏の御膝元である上田市の山三酒造株式会社です。

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さて一口。含んだ瞬間にガツンとくるザ・サケの風味。辛さ、苦さが口の奥で余韻を残しています。

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かなりキツイ酒という呑み口で、流石に「ひのもといちのつわもの」と言わしめただけのことがある人にちなんだ酒という印象を受けました。

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2016年5月12日 (木)

真田丸 特別展 / 江戸東京博物館

東京に何日か居たので「江戸東京博物館」に行ってきました。というのも特別展示室では「真田丸」の放送に伴い、「日本一の兵」(ひのもといちのつわもの)と銘打って250点余もの品が展示されているからです。

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しかし・・・

孫も同行していたため、真田丸には全然興味なしでスルー。予想通りの想定内だからまーいいか。

この特別展は東京・上田・大阪で開催され、夏の期間は上田市で開催されるのでその時まで取っておくことにしましょう。

ということで、本来の常設展示の江戸東京博物館で遊んできました。

真横は国技館。五月場所が始まっているので幟が沢山掲げられ、活気がありました。

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じっくりと相撲観戦もいいですね。

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2016年5月 7日 (土)

真田の酒 / ②真田軍団ビール

「真田の酒」の2回目はビールです。

長野県諏訪市の麗人酒造株式会社で造られた「真田軍団」と「真田赤備」330ml小瓶の2種類です。

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黒ラベルの「真田軍団」がスタウト、赤ラベルの「真田赤備」がアルトです。

スタウトは、麦芽をローストして醸造され黒くなるそうです。ギネスの黒ビールがその始まりだそうです。なるほど、味わいがドイツの黒ビールを連想させたのはそのためだったんですね。

アルトは、濃色大麦麦芽で醸造したビールということで味わい的には同系統なのですが、苦み甘み旨みなどのそれぞれの味がはっきりとしていてこちらの方が私好みでした。

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ビンのまま直に呑む習慣は日本人にはあまりありませんが、欧米的なそんな呑み方はこのビールの味わいからして有りかもしれません。

苦みの効いた美味しいビールでした。

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2016年5月 6日 (金)

真田の酒 / ①岩櫃城

今や浅間山の周辺は真田一色。

そんな中で、真田の名前の入った品はぞくぞくと湧いて出てくるのですが、酒好きな私としてはその酒を特集しないわけにはいかないわけで・・・。

そこで初回の今回は焼酎「岩櫃城」です。群馬県長野原町のモンドセレクション金賞受賞の常連酒蔵である浅間酒造のお酒です。

その以前紹介したお土産の焼酎「岩櫃城」をいただいてみました。

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戦国を意識した、それも焼酎。さぞクセモノだろうと思ったのですが、まースッキリとした飲み口。特徴が掴めず、初回から苦戦です。

クイクイといけますよー。癖のある焼酎はチョット・・・。という方はどうぞお試しあれ。

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2016年5月 5日 (木)

真田氏ゆかりの寺 大柏山「信綱寺」その2

4月19日に紹介した「信綱寺」の2回目です。

144号線から「信綱寺」の案内板に従って曲がり、突き当りまで行くと「信綱寺」の駐車場に到着します。

前回は、更に上段の門前まで車で上がってしまったので、今回は正規の参道からの様子を改めて紹介します。

参道入口にはツツジが綺麗に咲いていました。

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間もなく左手に薬師堂が現れます。

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その先に総門が現れました。黒塗りの門であったため「黒門」と呼ばれています。

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「黒門」の右隣に「馬頭観音」がありました。

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一般的に観音様の頭に馬の頭部が乗っかっていたり、文字のみで「馬頭観音」などと刻まれたものが普通ですが、馬の頭部のみが描かれているものは初めて見ました。上部には梵字が書かれています。

人馬の行き来する道端に道中の安全を祈願して祀られているものなので、当時の山道の守り神だったんでしょうね。

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黒門の隣にも種類の違うつつじが咲いていました。

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門を潜ると左手に「大六尊天」の祠がありました。寺の山門脇にときどき神社を祀る寺にお目に掛かりますが神仏習合や神仏分離そして廃仏毀釈など時代と共に「神」と「仏」の位置関係が微妙であった過去をどのように渡ってきたのでしょうか。

そして、曹洞宗の禅寺でお馴染みの「禁葷酒」(きんくんしゅ)の石碑がこのお寺にもありました。

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神社から右へ目を向けると杉並木の参道が続いていました。

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石畳の参道をぬけると橋が掛かっています。この橋を渡ると以前紹介した山門に到着します。
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2016年5月 3日 (火)

真田氏ゆかりの地 大笹関所/群馬県嬬恋村

嬬恋村の真田ゆかりの場所が続きます。今回は関所の紹介です。

前回紹介した、真田一族が上田と沼田を行き来したという大笹街道は、江戸から善光寺へと繋がる街道で、本街道の北国街道より距離が短く宿泊数も少なく、早く経済的に善光寺まで行けたため、多くの旅人が利用するようになりました。

この地には以前から沼田藩の番所がありましたが、多くの人馬が往来するようになったため、沼田藩主の真田伊賀守によって正規の関所を造って往来の取締りをおこないました。

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こちらは、案内板に記されていた当時の見取り図です。

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関所の隣は深い沢になっており、敵が迫った際は吊り橋を切り落とし進軍を阻む仕掛けがしてあったそうです。要塞の役目もして、真田にとって重要な場所だったんですね。

写真の前方に吊り橋が掛かっていました。(新御関所橋より撮影)

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現在は上流側に橋が掛かっています。その名も御関所橋です。

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2016年5月 2日 (月)

真田氏ゆかりの寺 吾妻山「無量院」

今回の真田氏ゆかりの寺は、群馬県嬬恋村大笹地区の「無量院」というお寺です。

この嬬恋村大笹というところは、上田と沼田を結ぶ街道の中の宿場町でした。真田一族は幾度となく行き来した主要街道で、信州から江戸へと繋がる街道でもあるため、江戸道などともよばれていました。武田の落ち武者が身分を隠して宿場町で商売を始めた宿場町との説もあり、武田一族家臣の名字がゴロゴロ有るのもうなづけるところです。

その「無量院」のある通りは、新田町(しんでんまち)と呼ばれていますが、本来は「真田(しんでん)町」ではないかとの説があります。同じ字では「さなだ」と読んでしまうので新しいとしたのでは、とか。

お決まりの六地蔵が入口に居ました。以前紹介した松代市の真田山「長国寺」の入口にもあった同じ「禁葷酒」(きんくんしゅ)の石碑が有りました。

ちなみに、その「長国寺」の山名は、「さなだやま」ではなく、「しんでんさん」と読みます。前説の内容に納得しませんか。

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一石に六体掘られた珍しい六地蔵も有りました。かなり古い物のようです。

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古い石仏がづらり。道しるべとして街道各所に在ったものを集めたのでしょうか。

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参道上に鐘楼が現れます。

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その隣に観音堂が有りました。入口の上に六文銭がどっしりと掲げられています。各所有る真田ゆかりの建物の中でも異質な珍しいものです。

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こちらが中の様子です。

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初代僧侶が京都の東寺から観音様を持ってきたという資料が有りますが、この仏像なのか解りません。

いよいよ本堂ですが、残念ながら昭和の時代に全焼してしまい現在の建物となってしまいました。仏像や主要位牌などを運び出すのがやっとだったといいます。歴代僧侶の位牌に真田氏祈願寺である旨の文字が残されているそうです。

本来は京都東寺の流れを汲む真言宗のお寺でしたが、真田統治時代に真田昌幸の長男である信之がこの寺を訪れ、曹洞宗として寺紋を六文銭とし、領地や位を授けたということです。

いろいろな古文書が全て消失してしまったとのことで残念です。

兵の移動の際は、宿泊や休憩場所として当寺を利用していたのであろうことが想像できます。

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建物は残っていませんが、六文銭が屋根瓦に掲げてありました。当時の本堂が見てみたかったですね。

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2016年5月 1日 (日)

真田ゆかりの城 鎌原城址/群馬県嬬恋村

今回はあまり知られていない、ちょっと地味な所の紹介です。

「真田丸」の1話~2話で武田が滅び、徳川の追っ手を避けるために群馬県の岩櫃城に逃げるくだりがありました。その時に峠まで迎えに出た一行が居ましたが、実はその道案内に出たものこそ今回の鎌原城の人達でした。

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「真田丸」ではちょっと違ったストーリーとなっていたようですが、真田の一行を嬬恋村大笹宿で一泊させた後、岩櫃城まで安全に送り届けたとのことです。

鎌原城主は、滋野源氏と海野氏の一族なため、真田一族とは同じ祖先でつながっています。代々沼田城に仕えた城だったため幾度となく武田と上杉とによる鎌原城争奪戦がくりひろげられた歴史があるそうです。上田と沼田の中間に位置しているこの場所を足掛かりとしたいということは解りやすい考えですね。

今は天明3年の浅間山大噴火によって城下の鎌原村が消滅してしまったため、古文書等が残っていませんが、沼田城のように河岸段丘を利用した立派な城だったようです。

この崖の上が城址です。典型的な山城ですね。

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崖の直下が吾妻川で、現在はその隣に吾妻線と国道144号線が通っています。

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総面積4万㎡弱の城だったようですが、どんな城だったのでしょうかね。

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本丸の堀跡の末端は崖に通じ、強靭な防衛を備えた城であったと想像されました。

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