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2016年3月14日 (月)

真田氏ゆかりの寺 松翁山「芳泉寺」

今回の真田氏ゆかりの寺は、松翁山「芳泉寺」です。上田城から西に3~400mほどの所に位置しています。

このお寺は真田信之(信幸)の正室であった小松姫のお墓が有ることで知られています。

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山門を見て、あることに気づきました。

「徳川の葵」の御紋、「真田の六文銭」それに「抱き杏葉紋」が山門に有りました。「葵」と「六文銭」は合点がいくのですが、何故「抱き杏葉紋」が有るのかは解りませんでした。

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小松姫のお墓は、本堂の真裏にあり、そのお墓だけ塀で囲まれていて、位のある人のお墓にふさわしく宝篋印塔でした。頭が良くて美しく、武術も堪能な人だったと伝えられています。

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小松姫は本田忠勝の娘で、徳川家康の養女となり、後に真田信幸と結婚しました。徳川家康が真田氏の才能に惚れ、真田勢を自軍に取り込むために才色兼備な小松姫との縁談を提案したと言われているようですが、小松姫も信幸の才能には既に惚れ込んでいたそうです。

後に父昌幸・弟信繁とは敵同士となってしまう運命になってしまいますが、孫に合いに来た昌幸を小松姫は追い払い、敵であることの面目を保って軍の士気を上げたと言われています。

しかし、その行動は本心ではなく、後に九度山へ流された昌幸・信繁に対して信州の食べ物を幾度となく送り届けていたそうです。

また、昌幸は、大坂の陣で敵となった子供兄弟同士が生き残っていることに対して、都合のいい振る舞いの駆け引きではないかと勘ぐられるのを心配し、いっそのこと死んでしまえばお互いの大将に対しての忠誠が真だったと解ってもらったのにと苦しい胸の内を漏らしていたそうです。

どちらも、親子であっても幸せを全うできない戦国の時代の複雑な心境をうかがい知れる悲しくもあり切ないエピソードです。

小松姫は、後に徳川城下の真田藩邸に住んでいたいましたが、病気の湯治のためにと草津温泉に向かう途中、現在の埼玉県で倒れて息を引き取っています。

そのため、小松姫の墓は亡くなった鴻巣の他に沼田、上田などに分骨されたためそれぞれにお墓が存在しています。

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