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2016年3月28日 (月)

上田城ってどんな城?

大河ドラマの「真田丸」もいよいよ上田城が舞台のストーリーとなってきましたね。

ということで、以前撮影した上田城の写真をアップしました。当時の雰囲気を感じることが出来るでしょうか。

まずは最近色々な場面で紹介されている上田城玄関口の「東寅口櫓門」です。大きな城門は寅口と言われていますが、干支の方位である寅の方向ではないんですね。

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「東寅口櫓門」は、地図上は確かに東方向なのですが、干支の方位である東北東ではありませんでした。色々調べたら、干支の方位ではなく「寅の口」すなわち非常に危険な口ということのようです。合戦などの重要な局面のことも寅口というそうです。この門では、門の中まで攻め込ませて、回り中から一斉攻撃を仕掛けたという戦略は聞いたことがるのですが・・・。

色々調べてみたら面白いことが分かりました。寅年の武将が以下の通りでした。

 徳川家康(1542年)・真田信之(1566年)・上杉謙信(1530年)

そして東方向を表す干支の卯年生まれはなんと。

 真田信繁(1567年)

これは偶然なのか、上田合戦で戦闘をかわした武将たちの干支と局面を迎えたこの場所の名前が因縁深いですね。まるで上田合戦を見据えた命名のようです。「掛かってこい家康」ってとこですかね。(あくまで個人の見解ですが・・・)

門の向かって右には「真田石」といわれる城内一の大きさの石垣石があります。上田城の石は、城から北へ3~4キロの太郎山から切り出したと言われています。

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さて、今回は以前とは違う南方向から上田城を見てみましょう。

こちらは、南側から見た上田城です。中央が東櫓、そして左奥が西櫓です。

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西櫓の石積みです。自然の岩と石積みをうまく利用しています。

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こちらが東櫓です。ここを攻撃をかわして登りきるのは不可能と思わせる構えです。

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しかし、真田はこの石垣の下まで容易く来られるようにしていました。

こちらは、西櫓から見た上の写真の下側の部分です。

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現在、芝の広場となっているこの場所は当時千曲川から水を引き入れた堀となっていました。しかし、上田合戦の時は水を抜いて空堀にしておいたのです。これが、昌幸の戦略の凄さで、この空堀に難なく何百という軍勢が攻め込んで集まった時に上流の川の堰を切って洪水を起し、一網打尽にその何百の軍勢を溺死させたのだそうです。

この堀を尼ヶ淵といい、上田城は別名「尼ヶ淵城」ともいわれました。

古地図を見ると、城の城下に寺を配したり、入り組んだ道にしてみたり、川を掘りのように2重、3重に配したり町全体が戦いに備えた造りとなっているように感じます。

北西側は大きなため池を造り、その池に城下の雨水が流れ込むように設計されていたようです。現在、ため池部分は公園敷地内の野球場と陸上競技場となっているので、その大きさは想像できると思います。

今でも池に流れ込む石樋が残っています。丁度、人が潜れるような大きな石樋なので、他の目的があったのかと想像が膨らんでしまいます。

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というのも、西櫓の裾に有る井戸も城下のある屋敷に繋がっている抜け道と言われています。

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井戸は柵に覆われ中まで覗き見ることができませんでした。

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こちらは、北側の石積みですが、建物の再建はされていません。

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上田城は本丸の無い城構えだったとされる説が有りますが、敷地の中央が高くなっており、近年の発掘で金箔塗の屋根瓦の破片が出てきたとのことで、古文書の本丸の一部の仕様と一致することからその存在が注目されています。

私の予想では、築城開始が1583年、二年後には家康が攻め込んでいますので本丸までの工事は不可能と考えます。そして徳川からの城破壊の命が下ったのが1600年なので、この間は櫓だけの「真田丸」のような構えだったのではないかと思っています。

1626年になってから復興となっているので、それ以降に本丸が造られたと考えるのが自然ではないでしょうか。

いろいろな資料から歴史を自分なりに紐解いていくのは楽しいですね。さー、大河「真田丸」の上田合戦はどのように描かれるのでしょうか。

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