« 真田山 種月院 長谷寺 | トップページ | 日本一のモツ煮 「永井食堂」 »

2016年2月 8日 (月)

真田氏の起源 「真田本城」

真田幸隆と真田昌幸の菩提寺「長谷寺」を訪れた後、真田氏の起源である「真田本城」の跡地を訪れました。

Img_0434

真田信繁(幸村)の祖父である真田幸隆の代からこの「真田本城」で陣を構えていたようです。

発掘調査の結果、鎌倉時代から存在していた古城であったようですが、築城から真田氏の本城となったまでの文献がなく、謎となっています。

父の真田昌幸の代になり「上田城」に陣を移しました。

こちらはその「上田城」を築城した南面の上田市方面の見晴らしです。

Img_0438
こちらは本丸から北に伸びた馬の背の風景です。3方が切り立った斜面となっており、外敵からの侵入は容易ではありません。

Img_0455
馬の背の北の末端の「切岸(きりきし)」の様子です。四つん這いでも登ってくるのは容易ではなさそうです。

北方向は、信繁の兄、信之が城主となった「松代城」のある松代方向です。

Img_0461
こちらは猿飛佐助が修行した鳥居峠(群馬県境)の東方向です。

Img_0459
こちらは西方面の様子です。

Img_0456
馬の背沿いに城郭があったのでしょうか。3方は見晴らしのいい立地でした。

天守があった高台のやや下に上田市を見下ろす仏像?が有りましたが、由緒は不明です。

Img_0449
こちらが天守が在った一番高い所です。

構築物が無いので、是非復元してもらいたいですね。

Img_0452
この後、久々に資料館も訪れ、真田の一端を垣間見れた1日でした。

Img_0462

|

« 真田山 種月院 長谷寺 | トップページ | 日本一のモツ煮 「永井食堂」 »

神社・仏閣」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 真田氏の起源 「真田本城」:

« 真田山 種月院 長谷寺 | トップページ | 日本一のモツ煮 「永井食堂」 »