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2016年2月

2016年2月19日 (金)

吾妻線 「長野原草津口駅」~「万座・鹿沢口駅」特急廃止

3月のダイヤ改正時に吾妻線の「長野原草津口駅」~「万座・鹿沢口駅」間の特急「草津」の運転が廃止されます。

今後、この間は普通列車での接続運転になるのだそうです。

ということは、3月25日以降はこの間の特急列車の撮影は不可能となりますね。では今のうちに撮りに行きましょうということで、吾妻線に行ってきました。

こちらは、「長野原草津口駅」を出発して最初に渡る鉄橋です。今後見ることのできなくなる「万座・鹿沢口駅」に向けて「赤川橋りょう」を渡る特急「草津」です。

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「万座・鹿沢口駅」から帰ってきた「草津」号です。

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こちらは、3月25日までの従来の終点駅「万座・鹿沢口駅」です。

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その昔、手前の鉄橋の下流側に廃線となった「草軽電鉄」の橋りょうがかかっていて、左対岸側には、「上州三原駅」がありました。昔の光景が思い出されます。

「万座・鹿沢口駅」の南側には巨大な浅間山がそびえています。

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「万座・鹿沢口駅」に草津号が停車しているこの2ショットの景色は撮れなくなってしまうんですね。

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2016年2月14日 (日)

上州の真田領地 「沼田城」跡

日本の真ん中に位置した真田氏の領地「沼田城」は、周辺諸大名が領地争奪の要として欲しくてたまらない地だったようです。

沼田市は何度となく訪れたことはあったのですが、この「沼田城」跡地の沼田公園に訪れたのは初めてでした。

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園内に入るとすぐに本丸の跡地がありましたが、現在はその形跡は無く、当時の様子を想像することすら出来ません。

最終的に江戸両国橋の木材の搬出が遅れたことが幕府の逆鱗に触れ、沼田城取り壊しとなってしまったそうです。沼田城の取り壊しとなった材料が橋の材料となってしまったのでしょうか?。どこかの国の将軍様みたいで怖いですね。

ここには立派な五重の天守があったそうなのですが、再建しないでしょうかね。

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本丸跡地の背面に初代城主の真田信之(信幸)と小松姫夫婦の石像がありました。

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城跡の奥手には城郭の石積跡が残っています。

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石積みの外は絶壁となっていました。

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ここが敷地の中で一番眺めがよく、敵の侵入を阻んだ典型的な崖城であったことがうかがい知れます。

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その昔、壮大なドラマが展開されたんですね。

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2016年2月13日 (土)

日本一のモツ煮 「永井食堂」

あまりにも超有名になった「もつ煮定食」の「永井食堂」ですが、今日久々に訪れてみました。

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国道17号線の渋川市と沼田市の間にある食堂なのですが、近年評判が広まりすぎて行列ができる食堂となりました。

渋川市から沼田市方面に車を進めるとやっぱり駐車場に入れない車の列が連なっていました。

50メートルほど先の←マークの所が「永井食堂」です。

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やっと駐車場に到着しましたが、満車状態です。

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さー並びましょう。30分程並んで席に着くことが出来ました。

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食堂内は混雑していたため、「もつ煮定食」の写真は撮りませんでした。

こちらの写真は「永井食堂」さんのホームページから借用させてもらいました。

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この食堂のライスの普通盛りは大盛りなので、半ライスで注文しました。

まず、水が出てきますが、1分も経たないうちにテーブルに「もつ煮定食」が出てきました。

甘辛い味噌で煮込まれたモツとコンニャクだけのシンプルなものなのですが、ちょっと濃いめのこの味が食べた後、暫くすると恋しくなってしまいます。

食べ物のいろいろなテレビ番組で紹介されたため、行列のできる食堂となってしまいましたが、以前は17号線を利用する大型トラックの運転手さん達が沢山利用され、駐車場のトラックの割合が多かったのですが、あまりの混雑のため、最近はトラックを停めて利用している様子を見なくなりました。

昔からのお得意さん達が利用できなくなってしまい、ちょっと可哀そうですね。

あっという間に完食。ごちそうさまでした。

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2016年2月 8日 (月)

真田氏の起源 「真田本城」

真田幸隆と真田昌幸の菩提寺「長谷寺」を訪れた後、真田氏の起源である「真田本城」の跡地を訪れました。

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真田信繁(幸村)の祖父である真田幸隆の代からこの「真田本城」で陣を構えていたようです。

発掘調査の結果、鎌倉時代から存在していた古城であったようですが、築城から真田氏の本城となったまでの文献がなく、謎となっています。

父の真田昌幸の代になり「上田城」に陣を移しました。

こちらはその「上田城」を築城した南面の上田市方面の見晴らしです。

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こちらは本丸から北に伸びた馬の背の風景です。3方が切り立った斜面となっており、外敵からの侵入は容易ではありません。

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馬の背の北の末端の「切岸(きりきし)」の様子です。四つん這いでも登ってくるのは容易ではなさそうです。

北方向は、信繁の兄、信之が城主となった「松代城」のある松代方向です。

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こちらは猿飛佐助が修行した鳥居峠(群馬県境)の東方向です。

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こちらは西方面の様子です。

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馬の背沿いに城郭があったのでしょうか。3方は見晴らしのいい立地でした。

天守があった高台のやや下に上田市を見下ろす仏像?が有りましたが、由緒は不明です。

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こちらが天守が在った一番高い所です。

構築物が無いので、是非復元してもらいたいですね。

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この後、久々に資料館も訪れ、真田の一端を垣間見れた1日でした。

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2016年2月 6日 (土)

真田山 種月院 長谷寺

「真田丸」で沸いている上田市真田町の「長谷寺(ちょうこくじ)」を訪れてみました。

真田城のやや裾に位置しているこのお寺は、真田信繁(幸村)の祖父の真田幸隆と父の真田昌幸の菩提寺として建立された真田氏ゆかりの寺です。

寺院の入口にはお決まりの六地蔵が祀られていました。

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ちょっと風変わりな山門です。頂頭部に六文銭が掘られているらしいのですが創建当時からの古いもので彫が甘くなったのか確認できませんでした。光線の具合によっては解るかもしれません。一枚岩を掘り出したものだそうです。

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真田氏の菩提寺だけあり、あちこちに六文銭が付けられています。

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本堂は再三の戦火等による火災と自然災害により消失し、真田氏にまつわる文献やその品々がすべて失われてしまっています。残念なことですね。この本堂も近年になってからの再建とのことです。

本堂の前には、藁で造られた馬が居ました。

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鐘楼には、禅宗派の曹洞宗ということで「長谷寺」と書かれていました。

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真田幸隆と真田昌幸のお墓は、本堂裏手の杉林の中に有りました。

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林の中はまだ雪深く、お墓は雪をたたえていました。中央が真田幸隆、右が真田昌幸のお墓です。

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両脇に配された六地蔵は雪に埋もれていました。

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参拝の後、真田城跡地まで行ってきました。その様子は次回に。

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