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2011年12月12日 (月)

横浜開港の立役者「中居重兵衛」

横浜開港の立役者「中居重兵衛」について夏前に資料を撮り溜めていたのですが、しばらく横浜方面の資料写真を撮る機会がなさそうなので、今回、今までの写真だけで紹介することにしました。

「中居(屋)重兵衛」と聞いても知らない方が大多数だと思いますが、幕末から明治にかけて横浜で海外との貿易を大々的に展開した人です。この人に関しての資料が殆どなく、41歳の若さで謎の死を遂げていることが未知の部分に一層の拍車をかけています。

生まれは、上州中居村(現在の群馬県吾妻郡嬬恋村三原)。中居村の名主の黒岩家に生まれ、武之助と命名されました。成人で撰之助と名乗り、横浜での商いのころには生まれ故郷の中居を取って「中居重兵衛」と名乗っています(以後重兵衛とする)。まるで芸名のようですね。

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生家となっている家は、以前営んでいた旅館「中居屋旅館」の名の入った入口の扉がそのまま残っていますが、現在は一般の民家になっています。実際の生家は、火事で焼失し、その後の建物のようです。この2~300mほど離れたところにお墓が有りますが、撮影していません。

重兵衛の祖父は草津町で温泉旅館を任せられ、父も一緒に仕事をしていたようですが、昔から天下の名湯である草津温泉には各界の名手が行き来していた環境のため、人脈があったようです。中居村の実家でも多岐にわたって商いを展開していたようです。蚕、薬、特に火薬についても草津周辺で材料となる硫黄が大量に手に入るためいち早く扱っていたようです。そんな裕福な環境の中で重兵衛も教養を身に着けていきます。

しかし、父の事業の失敗により散財し、父が家を離れてからというもの生活が一変していきます。田舎暮らしの苦しい生活の中、以前より旅館に出入りしていた名手たちの江戸の話に興味を呼び戻され、周りの反対を押し切り、江戸での勝負に出る決心をします。重兵衛19歳の時でした。

しかし、何の当てもなく江戸に出たのではなく、祖母の再婚先が日本橋の書店であり、そこを頼って行ったようです。祖母は快く面倒をみてくれ、重兵衛も一生懸命書店で働きながら書物を読みふけって勉強しました。

そして、そこで奇遇が幸運の兆しを見せ始めます。書店の近くで「佐久間象山」が塾を開いていることを知ります。佐久間象山は、江戸時代の有名な学者ですが、重兵衛は中居村の旅館で佐久間象山とは面識があり、いくらかの教えも受けていました。佐久間象山は信州の出であるため、江戸との往来に常宿として重兵衛の家を利用していたようです。さっそく象山に弟子入りするとますます教養を身に着けることが出来ました。あの勝海舟も一緒に象山から銃術を伝授されていたようです。

時は欧米の使者が日本へと横行する時代となり、幕府は鉄砲・大砲の装備を余儀なくされました。そのころになると重兵衛は、祖母の本屋から日本橋の商人の店の雇われ人となりますが、 その主人は重兵衛の鬼才稀なる能力を見抜き大番頭に抜擢し、娘を嫁に与え、独立させました。

しかし、重兵衛は故郷を出るときはすでに結婚していて、子供もいたのですが、再三にわたる江戸での同居を断られていました。昔のことですから、故郷を捨て江戸での生活に抵抗があったのでしょう。今でいう重婚となりますが、商売が順調にいくに従い、身の回りの世話をする人も必要だったようです。そんなこともあり、黒岩姓を使わず、中居重兵衛という名で通したのでしょうか。

幕府が造っていた大砲島(お台場)が完成しない状況の中、欧米の日本への接触は増すばかりで、佐久間象山は幕府に対して開国を進言しました。幕府はそれを受け入れ、開国の道へと進んでいきます。

横浜を港とした輸出入は急速に盛んになり、生家から営んできた生糸の売買、商人としての知恵、他にも天性の才能を生かし、日本の生糸の輸出量の半分以上を賄う大商人となっていきます。

横浜に構えた店は、銅御殿と言われるほどの大豪商となりましたが、突如として謎の死を迎えてしまいます。これは、個人の推測ですが、これだけの人物になると各方面から色々な圧力が掛かるのは世の常なので、命を狙われた可能性も充分推測されます。

当時の大名の井伊直助とは敵対関係であったり、「安政の大獄」による開国反対派からもやっかまれていた立場ですからうなずけます。

このような人が幕末に時代の重要なキーマンとして人生を駆け足で生きた人がいたということをちょっと知っていただくと嬉しいです。

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 参考資料

 1991年公開の北大路欣也主演映画「動天」は、中居重兵衛の物語です。

 横浜開港資料館

 中居屋重兵衛店跡

今、黒岩家の7代目は嬬恋村の紹介した生家の近くで、「中居屋」という立派な割烹料理店を営んでいらっしゃいます。 

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