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2011年8月 6日 (土)

広島に原爆が投下された日

1945年8月6日、人類史上初の原子核爆弾が使用されてしまい、一瞬にして10万人以上の人が亡くなってしまいました。

原爆を積み、サイパンの隣の島テニアン島から飛び立った戦略爆撃機B29の愛称は、「エノラ・ゲイ」。これは、攻撃作戦を部隊に命令した陸軍大佐の母親の名前だそうです。歴史史上まれな大量虐殺をするこの飛行機の名前を母親の名前にしてしまいました。それほどこの攻撃を名誉なことと思っていたのでしょうか。なんと、攻撃を成功させた関係者たちは、夜遅くまで祝杯をあげたということです。戦争当事者たちの考えや行動は、狂気の沙汰と思わずにはいられません。

当日、爆撃機B29に搭乗していた乗組員の内、原子爆弾を投下することを知っていたのは数名で、ほとんどの乗組員は目標の広島が近づいたころ、機内放送で知らされたそうです。後に、乗組員のうちの何人かはことの重大さに精神異常をきたした人がいたと言われています。

戦争中、私の父親は日本(東京)に飛来するこのB29を迎え撃つ高射砲部隊に所属していました。そのため、戦争経験者からの貴重な話を随分聞くことができました。一般的に言われている戦争の話とはニュアンスの違う本当の話を聞くことができたと思っています。

今だから公表できる話ですが、戦争途中にはすでにこの戦争は絶対勝てないと確信していたそうです。なぜなら、この高射砲部隊の弾は、B29にかすりもしなかったそうです。高射砲の射程距離と、B29の飛行高度がかけ離れていて、悠々と部隊上空を通過し、何度も日本への空爆を可能にしていたというのです。応戦する日本の飛行機も、歯が立たず、B29に近づくとみんな簡単に撃ち落とさてしまい、中には、燃え出した飛行機の炎を風を切って消そうと急降下、急上昇を繰り返し、最後には墜落して行った飛行機の最後の断末魔の様子を忘れることができないそうです。この高射砲部隊は、真っ先に攻撃される標的となっていて、隣の高射砲の壕に被弾した時は、自分は一瞬死んだと思ったそうです。その壕の中の隊員は、全員戦死してしまったそうです。下から見える何十機ものB29の銀色のぎらぎらした胴体の輝きは忘れることのできない光景だと言っていました。

奇しくも、父親は、軍曹に昇格するはずだった日に終戦となったそうです。

続きは、終戦記念日に・・・。

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