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2011年8月

2011年8月31日 (水)

群馬デイストネーションキャンペーン終盤

今、群馬県では7月1日から9月30日まで「ディストネーションキャンペーン」(JRグループと地域が一体となって誘客を図ることを目的とした大型観光キャンペーン)を開催しています。

私のブログでも、キャンペーンの一つである鉄道関連の催しを何度か紹介しましたが、企画車両の乗車率も上々のようです。夏休みの時期でもあり、蒸気機関車を撮影しようと全国から鉄道ファンが大勢訪れています。前半の2ヵ月も終わり、残り9月の1ヵ月となりました。

私も何度か様子を見に出掛けていますが、人気の撮影ポイントはどこも鈴なり状態です。私は比較的キャンペーン地域に近いため、この地域での撮影は容易なので、遠方から出かけてきている人のために遠慮しながら撮影を行っています。

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ご覧のように立体交差の橋のたもとはカメラの放列で、大賑わいです。皆さん、いい写真は撮れましたか?

私は、鉄橋と並行して掛かっている道路橋の歩道から一歩引いて撮影しました。側面からの写真もこんな機会がないと撮れませんからね。これはこれで貴重です。

残り1ヵ月、何回撮影に行けるか分かりませんが、また紹介させていただきます。(おかげで今年はほかの趣味がご無沙汰になってしまってます。)

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2011年8月28日 (日)

自然の一コマ/その27 「浅間百景」遅い春

古いネガをデジタル化した写真です。(ニコン+シグマ200mm相当のレンズでした)

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先日、キャベツの紹介をしましたが、苗を植えてから浅間山に雪がこんなに積もった年があったんですね。撮影年は不明でした。

苗を植えてから霜が降ると、畑全面の苗は全部植え替えとなるそうです。厳しいですね。

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2011年8月20日 (土)

中尊寺「金色堂」建立の日

1124年の今日(旧暦)は、岩手県の中尊寺にある「金色堂」が建立された日だそうです。中尊寺は先日世界遺産に登録されて話題になりましたね。以前私もブログで紹介させてもらいました。

建立された時の金色堂は屋外にあったのですが、総金箔張りの建物は風雨による傷みが懸念されたため、しばらくして建物ですっぽりと覆ってしまったそうです。私が訪れたときは、当時の覆っていた木造の建物はなく、強靭なコンクリート製の建物のなかに「金色堂」はありました。歴史的な建物が、コンクリートの建物の中にあったので、ちょっと拍子抜けしてしまいました。どこかの美術館の陳列品のようなたたずまいで、随分がっかりした記憶があります。世界遺産にも登録された建物ですから、将来的には本来の木造の「旧覆堂」と一緒に再現していただきたいですね。しかし、堂内に安置されている仏像はどれもすばらしく、唯一の救いでした。藤原の栄華を反映した立派な供養仏だなと関心したものです。

紹介にあたって、以前訪れた時の「金色堂」の写真を探したのですが、見つけ出せなかったためパンフレットの写真で勘弁してください。私は、旅行の資料は全てスクラップにして整理しています。レシートから入場券、箸袋に至るまですべてが旅行の記録となるからです。旅行前の下調べの楽しみ、旅行中の楽しみ、旅行後の整理の楽しみと、3回楽しませてもらっています。もちろん整理された資料は一生の楽しみとなります。一つ一つの資料は、その時の記憶を鮮明に思い出させてくれます。コレクター癖の最大の特権ですね。

Vcm_s_kf_repr_1094x474          この拝観券に写っている「新覆堂」の中に「金色堂」があります。

Vcm_s_kf_repr_872x595ガラス張りの中に「金色堂」が入っています。仏像の一体一体が見事です。このなかに藤原4代の魂が眠っています。

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金色の建物と言えばもうひとつの世界遺産、京都の金閣寺がありますね。この建物も総金箔張りですが、戦後まもなく放火により消失し、現在の建物は復元再建されたものです。この出来事は、三島由紀夫の小説「金閣寺」の題材ともなりましたよね。今でこそ金ぴかな「金閣寺」ですが、放火される前の「金閣寺」は、風雨にさらされて現在のようなきらびやかな建物ではなかったと聞いています。ついでに、銀閣寺の話題もひとつ。金閣寺は金色でその名のとおりなのですが、それではなんで銀閣寺は銀色じゃないの?と思ったことありませんか。諸説あるらしいのですが、これは銀閣寺の外壁が月明りに照らされると銀色に光るところから俗名の銀閣といわれ始めたそうなんです。個人的には、私は銀閣寺のほうが庭も含めて歴史を感じ、シックで好きですね。

まだまだ知らない文化財が沢山あります。一生発見と感動の連続だと思います。次は、何処に行ってみましょうか・・・。

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2011年8月18日 (木)

湯の丸「百体観音」

長野県東御市から群馬県嬬恋村の旧鹿沢温泉までの湯の丸高原、通称「湯道」の道沿いに百体の観音様が祭られています。総距離12Kmの間に、東御市を1番として110mおきに旧鹿沢温泉の百番まで百体の大小の様々の観音様が道沿いに祭られています。これは目的地の温泉湯治の効能に、道中の安全と、観音巡礼の功徳の付加価値を付けたものであろうとされています。体を病んだ人たちが、一体一体手を合わせ、百体手を合わせた後に湯に浸かる。なんか悪い病気も治りそうな気がしますね。

今回の記録を始めて、一体一体の間隔が不揃いであることが分かりました。昔の人馬と、現在の車道では、大分ルートが変わってしまっているようです。中には、石垣の上になってしまっている観音様もありました。車道の造成の際に随分と堀割ったのでしょうね。写真を撮るのにも一体一体そのたびに安全な駐車スペースを探し、短時間に撮影をしなくてはなりませんでした。想像以上に大変な作業ですが、ご利益がありそうですね。全て撮影と整理が済みましたら、日々のブログとは別に毎日一体ずつ紹介していきます。

Vcm_s_kf_repr_588x882目的地の旧鹿沢温泉にある百番目の観音様です。「千手観音」のようですね。一番観音と百番観音は、大きく立派です。この百番は背丈よりはるかに高いです。この観音様の横に、「紅葉館」という旅館があり、温泉に浸かることができます。

Vcm_s_kf_repr_882x588湯の丸スキー場脇の八十二番観音です。奥の方で牛が草を食んでいます。ちょっと傾いていて直してあげたいくらいでした。

Vcm_s_kf_repr_882x588_2Vcm_s_kf_repr_882x588_3                     八十三番観音です。

Vcm_s_kf_repr_882x588_4                    九十四番観音です。

これらの道沿いの観音様は、長野県の桜で有名な高遠の石工の作とされています。群馬県の嬬恋村内の神社仏閣の灯篭や石仏などは、後ろの銘を見ると高遠の石工の作が随分有ります。信州の地の隣の上州まで手広く腕を振るっていたようです。 

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2011年8月17日 (水)

国鉄70系 「クハ76」

私が生まれる前から横須賀線で活躍していた70系電車「クハ76」が1960年代の後半になって両毛線、吾妻線に配属替えされました。高崎駅構内にて何枚か撮影していましたので紹介します。

現在、吾妻線・上越線・信越線の群馬県下で活躍している湘南カラーの115系電車の兄貴分ですが、この115系電車もいつまで現役でいられるか分かりません。

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Vcm_s_kf_repr_904x574        現役で活躍中の吾妻線115系電車 (川原湯~長野原草津口間)   

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2011年8月15日 (月)

高崎第一鉄道管理局の転車台

「群馬ディスティネーションキャンペーン」のSL運転は、連日大好評のようですが、唯一高崎~横川間のSL碓氷号は、終点の横川駅に転車台が無いため、復路はDD51のディーゼル機関車でプッシュプル運転がされています。碓氷の急勾配を克服するため、電気機関車の導入の早かった横川機関区では、前進・後退が向きを変えなくてもよい電気機関車の機関区だったからです。

Vcm_s_kf_repr_882x5889C61による「SL碓氷号」。往路は、蒸気機関車の牽引ですが・・・。

Vcm_s_kf_repr_882x58810復路は、DD51ディーゼル機関車の牽引で帰って行きます。(これは、往路の時の最後尾のショットです。)

Vcm_s_kf_repr_882x58815横川駅到着のC61ですが・・・。

Vcm_s_kf_repr_882x58813 この先に線路は有りません。寂しいかぎりですね。

ということで、1970年代に撮影した旧高崎第一鉄道管理局の転車台の写真を紹介します。現在は撤去され、新幹線のホームになっていますが、日本貨物鉄道高崎機関区(旧第二鉄道管理局)の転車台は現役で活躍しています。

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Vcm_s_kf_repr_882x5888扇型車庫にはズラリと蒸気機関車が駐機しています。

Vcm_s_kf_repr_886x5863車庫の左端外に駐機される蒸気機関車は、廃車される機関車たちでした。いつも順次数機プレートを外された機関車が寂しそうに解体を待っていました。当時現役だったここに写っている機関車たちも殆ど存在していません。

現在でも「群馬ディスティネーションキャンペーン」などで雄姿を披露できる生き残りの蒸気機関車は幸せですね。ちなみにD51498は、71歳。C6120は、伊勢崎市の公園で隠居生活をしてましたが、再度仕事場を与えられた62歳です。2両とも老体です。頑張って日本に元気を発信しているこの2両を応援してくださいね。   

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2011年8月 7日 (日)

リゾートやまどり

今群馬県では、JR東日本と地域が一体となり、超大型観光キャンペーンを実施しています。その中に、上越線、信越線にはD51やC61、そしてC58などのSLが牽引する特別列車が運転されており、沿線には連日鉄道ファンであふれています。私もその中の一人ですが

そして、吾妻線には485系「やまなみ」「せせらぎ」をリニューアル改造した「やまどり」が特別列車として運転されています。SLは後日紹介するとして、先日「やまどり」の撮影をしてきましたので紹介します。

Vcm_s_kf_repr_882x588自然の景色に調和させる色調ということで、シックでぶどう色の旧客車を彷彿させます。

Vcm_s_kf_repr_914x569羽根尾駅の待機線に入線する「やまどり」。羽根尾駅には、大阪から撮影に来ていた方がいらっしゃいました。

Vcm_s_kf_repr_882x588_3「やまどり」と上り普通列車115系湘南カラーとのツーショット

Vcm_s_kf_repr_884x586万座・鹿沢口駅に向かう「やまどり」。

Vcm_s_kf_repr_894x581万座・鹿沢口駅を出発した特別列車上り「リゾートやまどり」 。 

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2011年8月 6日 (土)

広島に原爆が投下された日

1945年8月6日、人類史上初の原子核爆弾が使用されてしまい、一瞬にして10万人以上の人が亡くなってしまいました。

原爆を積み、サイパンの隣の島テニアン島から飛び立った戦略爆撃機B29の愛称は、「エノラ・ゲイ」。これは、攻撃作戦を部隊に命令した陸軍大佐の母親の名前だそうです。歴史史上まれな大量虐殺をするこの飛行機の名前を母親の名前にしてしまいました。それほどこの攻撃を名誉なことと思っていたのでしょうか。なんと、攻撃を成功させた関係者たちは、夜遅くまで祝杯をあげたということです。戦争当事者たちの考えや行動は、狂気の沙汰と思わずにはいられません。

当日、爆撃機B29に搭乗していた乗組員の内、原子爆弾を投下することを知っていたのは数名で、ほとんどの乗組員は目標の広島が近づいたころ、機内放送で知らされたそうです。後に、乗組員のうちの何人かはことの重大さに精神異常をきたした人がいたと言われています。

戦争中、私の父親は日本(東京)に飛来するこのB29を迎え撃つ高射砲部隊に所属していました。そのため、戦争経験者からの貴重な話を随分聞くことができました。一般的に言われている戦争の話とはニュアンスの違う本当の話を聞くことができたと思っています。

今だから公表できる話ですが、戦争途中にはすでにこの戦争は絶対勝てないと確信していたそうです。なぜなら、この高射砲部隊の弾は、B29にかすりもしなかったそうです。高射砲の射程距離と、B29の飛行高度がかけ離れていて、悠々と部隊上空を通過し、何度も日本への空爆を可能にしていたというのです。応戦する日本の飛行機も、歯が立たず、B29に近づくとみんな簡単に撃ち落とさてしまい、中には、燃え出した飛行機の炎を風を切って消そうと急降下、急上昇を繰り返し、最後には墜落して行った飛行機の最後の断末魔の様子を忘れることができないそうです。この高射砲部隊は、真っ先に攻撃される標的となっていて、隣の高射砲の壕に被弾した時は、自分は一瞬死んだと思ったそうです。その壕の中の隊員は、全員戦死してしまったそうです。下から見える何十機ものB29の銀色のぎらぎらした胴体の輝きは忘れることのできない光景だと言っていました。

奇しくも、父親は、軍曹に昇格するはずだった日に終戦となったそうです。

続きは、終戦記念日に・・・。

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2011年8月 5日 (金)

浅間山 天明の大噴火

1783年(天明3年)8月5日は、浅間山が大噴火した日です。記憶に新しいところでは、1991年の雲仙岳の噴火がありますね。雲仙岳では火砕流により、多数の犠牲者を出しましたが、1783年の浅間山でも、大規模な火砕流が発生し、裾にあった嬬恋村の鎌原部落が飲み込まれて全滅し、多数の犠牲者がでました。

火砕流が発生し、村人は山の上の観音堂へ逃げるように駆け上がりましたが、人口の15%ほどの93人しか助かりませんでした。先日の東北の津波を彷彿させますね。

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現在の観音堂です。観音堂への長い階段は熱泥流で埋もれてしまい、15段ほどを残すのみとなっています。1979年に現存する15段の下を発掘調査したところ、数段下より女性の白骨遺体が折り重なるように2体発見されました。下になっている白骨遺体は年齢が若く、上に覆いかぶさるようになっていた白骨遺体の方が年配だったそうです。お母さんか、お婆さんをおぶって逃げる途中だったのでしょうか、生死を分ける15段の僅か下から発見されています。階段は全部で50段ほどあったとされています。現在は殆ど埋め戻され、そこに、赤い太鼓橋が掛けられています。

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             隣接して、犠牲者の供養観音があります。

観音さまの頭の左上に写っている建物が嬬恋村郷土資料館です。先日、イタリアのベスビオ火山の噴火で犠牲になった古代都市遺跡ポンペイの住民の人型が日本のポンペイといわれる嬬恋村に寄贈され、この資料館に展示されています。   

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自然の一コマ/その26 橋の日「不動大橋」

昨日は橋の日。写真を選別しているうちに、日にちをまたいでしまいました。宮崎県の「橋の日実行委員会」が25年前に制定したそうです。「橋の日実行委員会」ってどんなことしてるんでしょうかね。

八ッ場ダムに伴う付替え道路の写真を記録してありますので、その中から橋の写真を紹介します。この橋は、八ッ場ダムニュースの象徴ともなり、有名になった「不動大橋」です。

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Vcm_s_kf_repr_588x882                2011年7月29日撮影

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橋柱だけの写真は、2008年9月17日撮影、橋桁が掛かった写真は、2011年3月28日撮影です。   

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2011年8月 3日 (水)

自然の一コマ/その25 浅間百景

平成9年6月5日の撮影と記録されていました。夕暮れか、朝焼けかわかりませんでした。浅間山からちょこっと煙が見えます。小さな三日月がアクセントになってますね。

浅間山は、標高2,568m長野県と群馬県の県境に位置する活火山です。軽井沢からの写真は殆ど撮りません。群馬県側からの浅間山の方が好きだからです。

先日、イタリアのベスビオ火山の噴火で犠牲になった古代都市遺跡ポンペイの住民の人型が日本のポンペイと言われている嬬恋村に寄贈されました。発見過程は、テレビのドキュメンタリーで放送されましたが、たしか高温の熱泥流に埋もれた肉体が高温で燃え尽き、人の形に空洞ができるというもうだったと思います。この空洞が発掘過程で多数発見され、その空洞に石膏を流し込み人型を採ったようです。この人型は現在、嬬恋村の郷土資料館で展示されています。

8月5日は、天明3年の浅間山大爆発の日です。この記事は、5日にブログアップします。

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