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2011年5月

2011年5月31日 (火)

自然の一コマ/その5 草津白根高原

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初冬の草津白根高原霧氷

霧氷の白根山周辺より、草津方面の眺望。雪に覆われる前の初冬に、予告なしに時々このような熊笹の緑と、霧氷の純白との自然の粋なお色直しを見せてくれる。

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2011年5月29日 (日)

自然の一コマ/その4 浅間百景

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               晩秋の浅間山

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特急あさま号

以前より紹介している旧信越線の代表的な特急に、「あさま号」がありました。初代の「あさま」には、東海道線「こだま」でおなじみの181系電車が使用されました。この車両は、いろいろな特急に使用され、東海道線の「こだま」が代表格だったため、その後通称「こだま形」と言われました。その後、「あさま号」は、489系、189系の編成列車を使用しました。

「あさま」のカラーリングは、「こだま」色の車両と、廃止まで使用されたモスグリーンのラインの入った車両でした。

002          こだま色の189系「あさま」 鉄道文化村保存車両

Vcm_s_kf_repr_882x588          EF63に引かれて横川駅に向かうモスグリーンの「あさま」号

信越線には、「あさま号」と並行して、「白山」号も運転されていました。「あさま」号は、配車の関係で、一往復だけ「白山」のカラーリングというめずらしい編成もありました。車両の塗色を見ただけで、これは「あさま」、これは「白山」と列車の区分けができましたが、このような編成があったため、フロントプレートを確認しないと何なのかわからない時もありました。次の写真は、その珍しい「白山」カラーの「あさま」号です。

Vcm_s_kf_repr_882x588_2          6号トンネルを抜け、軽井沢駅に向かう「白山」色の「あさま」号

特急「あさま」号は、廃線の1997年で 姿を消しましたが、名前だけは新規開業の長野新幹線「あさま」号として現在も継承されています。

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2011年5月28日 (土)

自然の一コマ/その3

ここ数日忙しくてブログ記事のアップができません。昨日の休みも、所用で帰宅が遅くなってしまいましたので、撮り溜めた写真を紹介します。

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干俣牧場から望む百名山「四阿山(あづまやさん)」

パルコールスキー場のコースが見えます。今年の夏季シーズンは、ゴンドラは、運休しているそうです。四阿山は、最近登ってませんねー。久しぶりに、鳥居峠から登ってみますか・・・。山頂までゆっくり上って3時間30分くらい掛かるかな。

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標高2,332m

「四阿山」山頂です。

上の写真の一番とんがったところです。猫の額の頂上なので、登山者が多いと長居ができません。ここより高い山が周りにないので夏場の雷シーズンは、生きた心地がしません。夕方になると雷が怖いので、真夏の登山は、昼過ぎには下山できるようにしています。

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2011年5月26日 (木)

自然の一コマ/その2

今日は、ブログを更新する時間がありませんでした。昨日から始めた、「自然の一コマ」を紹介します。

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志賀高原の一コマ

標高の高いこの地は、天候の変化で草木は、霧氷で白く化粧をします。太陽が姿を現すと、みるみる霧氷は消えていきます。どす黒い雲が去り、太陽が陽を出し始めた運の良いショットでした。

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2011年5月25日 (水)

自然の一コマ/その1

最近、以前より撮り溜めたネガフィルムのデジタル化を進めています。だいぶ整理が進んできましたので、ブログに紹介できるようになりました。変換すると若干画質が落ちるのですが、想定内と諦めています。ネガフィルムを撮影するのと同じことですから仕方ないですね。

風景写真に関しては、「自然の一コマ」と、勝手に題名を付けて今後少しずつ紹介していきます。自己満足、自画自賛、手前味噌のオンパレードですが、よろしかったらお付き合いください。

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表万座「干俣牧場」より、湯の丸連山を望む。牧場内の手前に小さく牛の放牧が映っています。

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2011年5月23日 (月)

シェルパの居た碓氷の峠

その昔、群馬・長野の県境にある碓氷峠にシェルパは居ました。旧信越線碓氷峠の急こう配を通過する列車は、全て峠下にある横川駅でEF63型の機関車を2両最後尾に連結し、峠上の軽井沢駅まで押し上げていました。それを、鉄道ファンは、「峠のシェルパ」と呼んでいました。たった一駅の間のために、機関車を2両も連結しなくてはならないこの状況は、時間も経費もかさみ、問題とされていました。その、「峠のシェルパ」EF63は、長野新幹線開通に伴い、信越線の横川、軽井沢間が廃線になり、姿を消してから14年が経過しようとしています。

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          (右)軽井沢駅を出発し、横川駅に向かうEF63に引かれた「あさま号」

Vcm_s_kf_repr_882x588_3          (左)横川駅より押し上げられて軽井沢駅に着こうとしている「あさま号」

EF63という形式の機関車は、日本で一番勾配のきつい、この峠だけのために開発された機関車です。 ここを通過するすべての電車と連結ができる連結器を装備し、協調運転ができる装備が備わっていました。ブレーキシステムや動力などもより強固なものを持ち、鉄道ファンの間では伝説的な機関車でした。

そんな機関車が路線 もろとも無くなってしまうということで、1997年の夏は全国から鉄道ファンが押し寄せました。

Vcm_s_kf_repr_882x588_5          早朝から横川駅のEF63に群がる鉄道ファン

Vcm_s_kf_repr_882x588_6          碓氷峠旧線「めがね橋」の橋梁奥の新線のEF63を狙う鉄道ファン

私も、EF63の記録を撮った同じ鉄道ファンの一人でした。私が、上の写真のポイントで撮った写真がこちらです。

Vcm_s_kf_repr_882x588_7          夜明けの朝日を浴びる横川機関区のEF63たち

Vcm_s_kf_repr_882x588_9           旧線の「めがね橋」の横を「あさま号」を押し上げ、通過していくEF63

もう見ることのできない風景となってしまいました。時々、撮りだめた写真を紹介します。 

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2011年5月20日 (金)

デスティネーションキャンペーン

「デスティネーションキャンペーン」とは何かご存知ですか?

「デスティネーションキャンペーン」とは、JR6社と地元の自治体や観光事業者等がタイアップしておこなう大観光キャンペーンのことなんです。

今年は、第一弾として4月23日から7月22日まで、青森県のデスティネーションキャンペーンが、そして第二弾は、7月1日から9月30日まで、群馬県のデスティネーションキャンペーンが始まります。

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JR吾妻線では、すでにキャンペーン文字入りの115系電車が走っています。JR東日本高崎支社では、先日復活した蒸気機関車C61の復活運行が計画されているようですよ。

先月青森から始まった「デスティネーションキャンペーン」が、7月には群馬に、そして10月には九州へと南下していくように計画されているようです。

東北から南下といえば、かつて秋田県から日本海経由で新潟に、そして、高崎を経由して上野まで走っていた「いなほ」という特急列車がありました。上越新幹線の開業後は、新潟までの列車となってしまいましたが、一日一往復のこの「いなほ号」を40年前に奇跡的に写真に収めてありましたので紹介します。

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1970年撮影、高崎第二鉄道機関区通過のキハ81系特急「いなほ」です。当時は、機関車ばかり撮っていたので、よく撮影しておいてくれたものだと、関心しました。ボンネットタイプの列車のハシリのような存在ですね。

当時、高崎の機関区は、第一が蒸気機関車、第二が電気機関車と分けられていました。

Pict00612                高崎第一鉄道機関区

Pict00392                高崎第二鉄道機関区 

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2011年5月19日 (木)

浅間バイク記念館

今日は、所用のため出かけてきました。途中にある「浅間バイク記念館」にいつか機会があったら立ち寄ってみようと思っていたので行ってきました。何年ぶりでしょうか、久々の来館です。

072             館内の資料写真より「浅間火山レース」の1コマ

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以前、ブログで「モータースポーツ発祥の地」を紹介しましたが、ここには、日本のバイクを世界一のバイク王国、そして自動車王国に押し上げる原点となった当時のレーサーや関係者の努力の結晶が展示されています。

Cimg00022              館内の資料写真より「浅間火山レーススタート」の1コマ

この写真の「第1回浅間火山レース」のスタートが、日本のモーターサイクル立国の幕開けを告げました。

Cimg0006             中央の「スタート」幕は、当時スタート地点に掲げられていたものです。

Cimg0012             メグロ社 「RZ浅間レーサー 」

Cimg0013             モナーク工業社 「F1浅間仕様」

バイク好きの方は、ご存じだと思いますが、これらのバイクメーカーは、淘汰されたり吸収されたりして現在は存在していません。しかし、今は存在しないこれらメーカーのノウハウも当時の発展に多大な影響を与えました。

是非、これらの貴重な資料を機会が有ったらご覧ください。館内のバイクは、毎年入れ替えているとのことで、確かに以前私が見たバイクとは違うものが陳列されていました。何年も楽しめそうですね。

Cimg00252             館内の資料写真より「当時の 本田宗一郎氏」

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03_2             館外には、当時レースで使用した給油機も保存されていました。

隣接して 「浅間火山博物館」や「鬼押出し園」があり、楽しめますよ。こちらは改めて紹介します。

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2011年5月17日 (火)

ジャズの泉/その5 「オスカー・ピーターソン」

今日は、免許の書換え(運転免許ではありません。)をしてきました。5年に1回なのですが、法定講習を丸1日受けなくてはならないんです。疲れた~。しかも明日、もう1日違う免許の書換えがあるんです。おそろしー

そんなことで、通勤時間より長い移動時間のため、JAZZを聴きながら行くことにしました。用意したCDは、「オスカー・ピーターソン」。最近惜しまれて亡くなった大御所です。膨大な数のCDをリリースしていますが、今日聴いたCDは、、「オスカー・ピーターソン」の代表作「NIGHE TRAIN」です。

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私のライブラリーの中でも古株になります。この中で、好きな曲は、「GEORGIA ON MY MIND」です。その昔、この曲を聴いてすっかり「オスカー・ピーターソン」の大ファンになってしまいました。これでもか、これでもかと泣きを入れてくるピアノのタッチにしびれてしまったんです

「オスカー・ピーターソン」のピアノは、あの大きな体と太い?指でパンチの効いた元気な音というイメージがあるのですが、バラードなどの曲となると一変して、シットリとしたタッチとなります。あの大きな体から優しさがあふれ出します。私は、JAZZピアニストの中で「オスカー・ピーターソン」は、職人だと思っています。とにかく、起用なんです。膨大なレパートリーと、そのリリースしたCDの数を見ればうなずけます

久し振りに、気分のいい移動時間を過ごせました。

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2011年5月14日 (土)

その時、鉄ちゃんは若かった

最近、昔撮った鉄道写真のデジタル化を始めました。残念なことに、40年程経過したネガは、変色、カビ、ホコリ等により想像以上に劣化が進んでいました。そして、素人ゆえのカメラを使いこなせない腕の悪さがそれに拍車をかけています。しかし、過去に戻って撮り直しできないその瞬間を、記録として切り取って残してくれた自分に感謝しています

一枚、一枚整理が進むにつれ、その時の記憶が少しづつ蘇ってきます。折角整理を始めたので、少しづつブログで紹介していくことにしました。

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この写真は、旧高崎第一鉄道機関区内の給炭施設で、石炭を補給している蒸気機関車です。私が鉄道写真を撮り始めたころは、高崎駅北側に隣接されたこの機関区では、まだ蒸気機関車が沢山配属されていました。 しかし、このころから沿線の無煙化が進み、あちらこちらで蒸気機関車のさよなら運転が始まった時期でもあります。

左側に写っているD51 631号機は、その後八高線のさよなら列車で記念列車を先頭で引っ張る大役をはたしました。この時は、D51とC58の重連でした。この列車には実際乗車して写真を撮っていますので改めて紹介します。今日は、やはり乗車して撮った、足尾線のさよなら列車の写真を紹介します。

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C12の重連で牽引された客車から、カーブのたびに乗客たちがカメラを前方に構え、重連の雄姿を撮ろうと、すずなりです。 沿線は、最後の蒸気機関車の姿をカメラに収めようとこのような賑わいでした。この日は、最後のサービスなのか、はたまた前方のカメラマンたちへの警告なのか、汽笛がやたらと多く鳴らされていました。勇壮でもあり、また、最後の運行の嘆きにも聞こえました。

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2011年5月 9日 (月)

草軽電鉄 デキ12形機関車

先日紹介した「軽井沢駅舎記念館」の玄関先に、「草軽電気鉄道」で活躍した電気機関車(デキ12形)が有ります。その時には、この機関車のことは触れませんでしたので、今回改めて紹介します。

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随分とかわいい機関車でしょう。この電気機関車は、40年程の間、軽井沢町と草津町の間に敷設されていた「草軽電気鉄道」 の貨物用の機関車として活躍していたものです。

「草軽電気鉄道」は、旧国鉄時代に吾妻線の開通や、 台風の災害により鉄橋が流されてしまったり等の結果、昭和37年に廃線となってしまいました。

この機関車は、「草軽電気鉄道」が日本で初めての電力会社であった「東京電燈株式会社」から、発電所建設工事の現場で使用していたトロッコ機関車を譲り受け、運転台とパンタグラフを取り付て使用しました。

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独特の真っ黒な角のある形から「カブトムシ」の愛称で、鉄道ファンには今でも伝説の機関車として親しまれています。

胴体の中をのぞいたら、2つの動力モーターと、セレン整流器でしょうか?巨大なブロックが片隅にありました。06

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このブロックが、私の推測通りセレン整流器だとすると、この機関車は直流動力駆動で、架線は交流電源だったことになります。

「草軽電気鉄道」は、私が幼少のころに、草津町の親戚の家に行くのに何度か利用しました。ところどころの線路敷や、電車がゆっくりとユラユラ横揺れをして走っていたのを覚えています。また、鉄橋が流されてしまった時は、父親と災害現場を見に行きました。廃線になるときは、子供ながらに寂しかった記憶があります。

現存する「北軽井沢駅」は、払下げ後は、少し前まではスナックとして使っていたんですよ。スナック時代は、何度かお酒を飲みに行きました。今は、資料館として元の駅舎として復元され、外には木造のデキ12形が復元され、ホームに設置されています。

この、スナックをされていた方は、もともと「草軽電気鉄道」の社員で、私の知り合いのため、「草軽電気鉄道」の珍しい話でもお伺い出来る機会が有れば紹介します。

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